再度保留 もしくはいったん白紙へ

独り言
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観測不能

生や死 死後の世界 人間の本質

そんなことを書き出すと止まらなくなるね

なんといっても観測不能の与太話

世の中の陰謀論と同じように

なにが正解なのかわからないんだから困ったもんだ

もしかすると正解があるかもしれないよ

だけど回答に採点してくれる人がいないんだから

何が正しくて 何が間違っているのか

もしくは 全てが正解で全てが間違いってこともあるんだから

どうしようもなく無駄な時間ってことになるのかもしれない

めくらめっぽう打った球が的に当たっているかもしれないけど

的が見えないんだからどうしようもない

特に宗教関係に足を突っ込むと

全てが正しそうになるよね

そのくせ もう少し掘り下げると

どうしても矛盾点が見えてくるんだから仕方がない

信じてしまえば究極の解答

「神の御心は人間には理解できない」という

伝家の宝刀があるんだから楽なんだろうけど

この「神の御心は……」っていうのは

『存在』や『真理』なんて言葉に置き換えると

どの分野でも使えるから便利なんだけどね

それで納得できないのが人間の性かな

東洋思想 仏教あたりがぼくには割としっくり来てたんだけど

これは土地風土がぼくに染みついているだけなのかもしれない

時代・環境の制約 ってやつ

ただ 今回もう一度調べ直してみたら

どうもぼくの理解していた観念と

書かれている観念の間には

けっこうなギャップがあるみたいなんだ

もう少し掘り下げてみる必要がありそうだけど

あまりにも奥が深すぎるようにも思える

哀しいかな真剣に掘り進むとなれば

人間の一生を掛けて掘り進んでも到達できないんじゃないかな

ひとまずぼくは ぼくの生きている間に

なんらかの結論(間違っていても)を出したいんだ

だから宗教辺りの話は軽くなぞるだけにしておこう

もう一度振り返り

何度も書いていて自分でも飽きちゃったけど

もう一度この書き込みの原点に戻ってみるね

子供のころからの死に対する恐怖

超越者へのあこがれ

その辺りからスタートしていたはずなんだ

死に対する恐怖については

時代の変化(特に肉体年齢)によって

だいぶ変わってきたような気がする

若い時は肉体の消滅というより

死後に己の存在の消滅の方が怖かったような気がするね

中年になってからは肉体の消滅 というより

消滅直前の苦痛の方が怖くなっていたかな

もっとも若い・中年にはっきり分かれていたのかというと

必ずしもそうじゃなかったのかもしれない

その時々でこの辺りの考えがいろいろ出て来たような気もする

現在ほぼ老年といわれる時に何を考えるのか?

これも日々・時々刻々変化するんだから一概には言えないけど

一番の恐怖は苦痛だろうね

ただこの苦痛っていうのは生きているという証

苦痛が死に対する恐怖というのは間違っていた

そんな感覚は出て来たかな

苦痛や過去に出来ていたことが

出来なくなるということへの恐怖

言い換えれば後の人生を生き続けることへの

恐怖ってことかもしれない

だから 死に対する痛みという恐怖では

無いってことになるのかも

もう一つの恐怖としてあるのが

自己の存在の消滅があるよね

過去には存在としての己が消滅することを

たしかに恐れていたような気がする

ただその存在というのは他者・世界という組織の中での

己の存在ということだったのかもしれない

現在では他者・世界っていうのは

あまり考慮に入れなくなっているのかもしれないね

己独り在りてその存在が滅する

まあ それも良いんじゃないかって

思えているところもあるんだ

けっして己の存在を消したいって言うんじゃないよ

できれば苦痛というものが無く存在できるのならば

自分が存在していくことも悪くは無いと思っているんだから

それでも他者や世界とじぶんを切り離して考えれば

己の消滅ということにそれほど

恐怖は感じないかもしれないね

超越者

超越者っていうのもこんな風な雑文を

綴っていくモチベーションだったのかもしれない

超越者・スーパーマン・ヒーロー

それらに対する憧れや願望

中二病と言われようが誰しも一度は夢見たんじゃないかな

プロスポーツ選手や有名人 喧嘩最強でもいいけど

ところがこれも他者・世界という枠組みの中での話なんだよね

勝ちと負けのある世界でこそ

スーパーマンやヒーローは存在するんだから

超越者なんていうのは勝負の世界でのチート能力

他者と比較して初めて成立するんだよ

極端な話 年収自慢や学歴自慢なんていうのと一緒

他者の情報が無ければ良い悪いなんて無いもんね

死への恐怖の内 他者とのかかわりの中での自己の消滅が

それほど恐怖でなくなってきたという理由と一緒で

他人や世間との関係性が薄くなってくる老人には

超越者に対する願望は少なくなってきているみたい

人間なんて世間とのかかわりの中でのみ

欲望って言うものを膨らませてしまうのかもしれないね

最後に残るもの

今 あくまでも現時点での話だよ

では 何を求めてグダグダと書き続けているのだろう?

たしかに暇つぶしの側面は大きいとは思う

ゲームや読書 映画やドラマ アニメなんかと同じで

なんとなく時間をつぶす作業に

意味を持たせようとしているだけかもしれない

旅行や食なんかも同じかもしれないんじゃないかな

実際 仕事や趣味なんてものの中に

絶対必要とされるモノなんかないんだから

ある種の知識欲はあるのかもしれない

好奇心という厄介な奴がどこかにいるのかも

ただ 知識なんてものは膨大過ぎる

すべてを網羅するなんてことは まず出来ないと思うんだ

そこで登場するのが超越者という概念

チートな力を持つという誘惑は

他者と絡み合う世界でしか意味が無い

そして他者との絡み合うことに興味が薄れていく世代

そう 老人にとっては力自体にあまり意味を見出せなくなるんだよ

だけどチートな知というものには

未だに願望があるのかもしれないね

知識自体は膨大過ぎる

人間自体の観測能力にも限界がある

『存在』というものを知覚 もしくは同一化することによって

すべての『知』というものが習得できるのじゃないか

そんな淡い期待があるのかもしれない

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