もう少しまとめを続けよう

独り言
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オートマン って?

オートマンとはなんだろう?

ブラフマンとオートマンは同意である

なんて書かれているけど

なぜ個々の人間(生物)の中に

個別のオートマンが収納されるなんてことになっているのかな

輪廻転生を考えてみてよ

たとえばぼくの中にいる(?)オートマンは

ぼくという五蘊が消滅した後に違う五蘊に乗り換えるってことでしょ

それが人間なのか他の生物なのかは別にして

現在の乗り物が廃棄された時には

別の乗り物に乗り換えるっていうのが輪廻転生

『五蘊皆空』ってことが正しいとすると

ぼくという存在の主人公はオートマン(魂)ってことだよね

ところがぼくの認識の中では

ぼくという存在の主体は五蘊 特に想と識のような気がするんだ

もし『ぼく』というものが無意味な存在だとされると

その時点で今やっていることは無意味ってことになるんだから

諦めるしかないけど

このあたりは賭けだね

ぼくの持つ想と識が主体となり得る

そこまでいかなくてもなんらかの影響を

魂(オートマン)に与えることが出来る

そこのところに一縷の希望を持ってみよう

というところで ぼくはジタバタしていると思うんだ

オートマンとブラフマン

ブラフマンが『存在』もしくは『演算子』としよう

それと同格のオートマンが

なぜ個別に個々の生物の中に存在するのか?

その辺りが疑問点だよね

一つ考えられるのは生物(生命)というものが

ブラフマンにとって異分子 

もしくはイレギュラーな存在だという可能性

真珠みたいなものってことだね

ブラフマンの中に紛れ込んだ異分子を

オートマンという真珠層が包むという考え方

生命が輪廻転生を重ねていくということは

オートマンという真珠層が

十分な厚さになるまでの時間を稼いでいるということ

これはあり得るよね

層が十分の厚さになれば

『解脱』という ブラフマンにとって違和感のないものになる

それまでの時間が必要ってこと

ということはぼくというものの主体は

オートマンだと考えると

ぼくの想と識が健在のままでは

けっして解脱にはたどり着けないってことだね

そしてぼくはぼく自身の主体を

自分の想と識でありたいと思っている

これって相当難しい問題のような気がする

ぼくがぼくでありたいと思うのならば

けっして解脱にはたどり着けず

解脱にたどり着けない限り人としての

最終目標にはたどり着けない

さて 困ったもんだ

生命

生や死 存在に本質

そのあたりの本当の意味なんて

現在の科学や思想では確定した結論は

導き出せないもの ってことで良いと思うんだ

ということは 逆に言えば

とんでもない仮定を土台にしても

問題は無いってことじゃないかな

なんといっても正解か不正解かの判別が出来ないんだから

ひとつの仮定として生命というものは

存在やこの世界にとっては

異分子 もしくはイレギュラーな存在だとしてみよう

根拠としてブラフマンと同格とされるアートマンという魂が

生物の中(?)に存在している とされている東洋哲学だね

もし生命も存在(ブラフマン)の中に組み込まれているなら

生命というものひとつずつに

アートマンという監視役がついている理由がわからないもの

アートマンは観測者ということになっている

その時点での乗り物がどう動くのかを

見続けているってことだね

だとすると現時点での『ぼく』の主体は

乗り物なのか運転手なのかということ

ブラフマン側からすると当然運転手が主役

生命という乗り物は使い捨ての道具でしかないわけだ

ぼくの中にある五蘊(色・受・想・行・識)は

経年劣化を待つだけの無意味な存在ってこと

五蘊皆空とはよく言ったものだね

ブラフマンにとって生命は忌避すべきものとしよう

では なぜ忌避すべきなのか?

生命がブラフマンにとって

異分子もしくはイレギュラーな存在だから

という結論はおかしくは無いような気がするな

異分子とは 周囲の多数のものと性質・種類などが異なっている

そういうものを指すらしい

イレギュラーは不規則・変則的・不正なんて意味だね

なぜ異分子・イレギュラーな存在が忌避されるのか?

忌避ってことは嫌われたり避けられたり恐れられているってこと

ブラフマンにとって生命のどこが

避けられる要因になるのだろう?

ひとつの仮定

『存在』(宇宙でもこの世でもブラフマンでもいいけど)

というものは確定している

そういう風に仮定してみよう

生命 特に人間に関して言えば

その持つ肉体 行動 想い 

そのすべてが変化していくものって考えてもいいかもしれない

五蘊皆空 識・受・行・想・識すべて無常 ってやつだね

確定と無常 これが相容れない原因かもしれない

安定した存在であるはずのブラフマン

その安定を生命というものは崩すだけの力がある 

そう考えるとブラフマンが生命を忌避する理由として

違和感が無くなるような気がするのは

ぼくの思い込みが激しいからかな?

どうやらこの仮定 『散歩……』に出てくる 

セカンド・ファースト・意ってものに繋がっていると考えると

おもしろそうな気がするんだけどね

どうせ また『散歩……』についても振り返りをするんだから

この辺りはその時に深堀してみよう

だから いったん道草はここまでにして

前に量子力学を書き終えたときの感想と

それに続いて書いた生物の部分の振り返りに

戻ってみたほうが良いかもしれないね

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