ベクトルと因果関係
因果関係はよく使われる言葉だけど
人によって使い方が違ったりするから
少し整理してみよう
因果関係は 原因が結果にどのような影響を与えるのか
という 時間順序が必要なんだね
極端に言えば結果から原因を
時間を遡って考察するということ
たとえば火事がおきて煙が出るという現象を考えよう
あくまでもぼくの感想だけど
煙が出ている→火事が起きている だと思うんだ
火事が起きても煙が出ない状態もあるかもしれないし
煙だけが出ていて火事が起きていない状況もある
火事が起きていて 煙が出ている
この状態があった場合 なぜ煙が出ているのか
その疑問に答えるのが
因果関係じゃないかな
もうひとつ似たような言葉に
ベクトルというのがあるよね
ベクトルっていうのはどちらかと言えば
数学言語の中の『物』の概念だと思うよ
空間内での位置や運動を表現するために
複数の数値によって構成していく
その数値は『物』の持っている潜在能力
もしくはその『物』自体を表している ってことだね
だから ベクトルには時間順序は無いんじゃないかな
数学で言われる『点』の概念に近いかも
その『点』の持つ時間・空間方向への
可能性を表すためのものってことだろうね
物理的認識の中には
点という概念は存在しない
あくまでも物理事象を
数学言語で表すための手法と考えるのが
妥当なんじゃないかな
人間の認識
しつこいようだけど
またまたパースさんの考えを引用するよ
1:自分自身の精神を観察する方法は無い
精神に対する知識は
外的事実に関する知識から仮説的に推論される
2:前後のつながりのない物事を理解する能力はなく
すべての認識はそれ以前の認識によって論理的に決定される
3:記号を使わずに考えることはできない
4:絶対的に不可知なものの概念を持つことはできない
今回はこの内の2について考えてみよう
人間には前後のつながりの無いものを
理解する能力は無い
前後の繋がりって時間経過のことだよね
だから人間には時間とともに
動く(静止でもいいけど)ものしか
認識できないってことだよね
言い換えれば人間には空間の認識は出来ないわけだ
空間認識っていうのは
ある意味『点』の認識のはずだから
だからベクトルっていうのは
数学言語の比喩として使われているだけで
実際のところぼくたちには認識できないはずなんだ
ぼくがよく使う比喩で使う
人間はデジタル情報しか入手できないが
思考はアナログ情報としてしか処理できないってことだよ
続いて出てくるのが
すべての認識はそれ以前の認識によって
論理的に決定される ってものだね
ここでもデジタル・アナログ問題が出てくる
時間経過については
前後のつながりの無いものは
認識できないってところに集約されるけど
こんどは空間情報についてだね
数学でも 特に幾何学では顕著なんだけど
点の表し方は空間座標を使われる場合が多い
たとえば二次元表記の場合
X軸 Y軸という一次元の
対応数値の組み合わせで表記されるよね
「以前の認識」ってものは
じぶんの中に創り上げられた
グラフ用紙みたいなものじゃないかな
そのグラフ上に取り入れられた
デジタル情報(点情報)を記入する
その点の座標位置を
アナログ情報として広げた
各軸の数値を代入することで
自身の中ではアナログ情報としての空間図形を作り上げ
他者に伝えるときには
デジタル情報としての各軸の数値を伝える
その作業が人間の認識作業のような気がするな
認識には2種類ある
自己認識と共通認識
そのあたりが人間としての
限界なのかもしれないね
因果関係の世界
ぼくたちの存在している宇宙(世界)は
因果関係で構築されている
そう判断するのは早計かもしれない
正確に言えば
因果関係の無い世界は
ぼくたちには認識できない ってことかも
哲学も物理学も 大前提には
『人間が……』という文言が付いちゃう
ようするに人間が認識できない世界は
人間にとって無い世界ってことだと思うよ
ただ これも正確に言えば
因果関係の世界で生まれた人間の能力では
因果関係のつかめないものは
知覚できても認識できないってことだと思うんだ
この『知覚』が出来ないということと
『認識』が出来ないということは
同じなんだろうか?
哲学でも物理学でもこの『知覚』と『認識』を
同じレベルで並べているような説に
よくお目にかかるけど
知覚と認識は使い分けたほうが良くないかな
人間の思考がアナログ形式
入力情報がデジタル方式
そう考えると知覚(デジタル)認識(アナログ)では
毛色が違うような気がするよね
だけどデジタル情報を認識できるというのは
どういうことなんだろう?
認識はアナログ形式で
知覚はデジタル形式
そんな単純な発想でいいのかな?

