堂々巡り
ぼくの頭の中で量子力学に次に書いていたのが
生物学だったような気がしてたんだけど
どうやら思い違いをしていたみたいだね
『時』『色』『意』の関係性を
なんとか見つけてみたいと思って
書き始めたこのブログ
テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼという
弁証法を当てはめようと四苦八苦
だから哲学という精神学から『意』に
物理学という実態学門から『色』に
どこか切り口が無いか試行錯誤しようとしたってこと
『時』については切り口が見つからなかったんだけど
だから各学問に触れてみて
おおよその概念をつかんで
自分なりに解釈しようとしたんだけどな
考えると大それた挑戦だと思うよ
軽く調べたことをまた舞い戻って考察していく
その間にいろいろ寄り道をしているんだね
生物学もその寄り道の一つだったってこと
生物学に迷い込んじゃった原因は
哲学の振り返りの振り返りにあったんだ
哲学編 振り返りの振り返り
哲学を一言でまとめるなんて
とてもじゃないけど出来るわけは無い
それに実験結果が出るわけじゃないものだから
正解不正解の判別もつかない
じぶんの中で折り合いの付く説だけを拾って
それを基準にしていくしかないってこと
前回の哲学編でぼくが気に入っていた考え方は
今この時点でも変わっていないみたいだね
命題としては『存在』の究明
存在でも宇宙でもこの世でもいいけど
世の中っていうのは実際のところ
どうなっているんだ? ってこと
ぼくの場合は単純な知識欲というよりも
自分自身がその中でどのような
役割を持っているのか が知りたいってところかな
デカルト・カントという巨人の後を引き継いだ
ヒュームさんの印象と概念の考え方
ハイデカーさんの存在・存在者・現存在
パースさんのプラグマティシズム
この辺りがぼくにとって一番しっくりくるところなんだよね
存在
自分が納得できそうな結論のひとつとして
『存在』というものはけっして人間には理解できない
なんてどうしようもないところなんだ
人間なんていうとおこがましいから
ぼくにとって存在は理解できないってことかな
理解という言葉自体があやふやだから
ハインラインさん風に
『グロック』と言ったほうが良いかもしれないけど
その理解できない存在の中で
どうやって自分自身を確定すればいいのか
その辺りが今の時点でのぼくの
主要命題になっているみたいだね
生と死 自身の本質 他世界とのかかわり方
どこが気になっていたのか
はっきりした結論が出せなかったけど
どうやら(あくまでも今のところは)
自分自身の確定というものが
一番の関心事じゃないかと思えるようになってきたんだ
存在は理解できない
自分自身は存在である もしくは存在の一部である
だから自分自身は理解できない
理屈ではそうなるんだよ
ではその中で「考えている自分」というものは
どの位置づけにあるんだろう
デカルトさんみたいに我思うゆえに我あり なんて
とてもじゃないけど言い切るだけの自信は無いけど
現存在と存在者を区別する方法は
『死』のみ なんてところに行き着くのかもね
考えている自分
不安定な土台なんだと思うけど
なにかの基礎の上に立たないと
物事を構築することは出来ないっていうのは当たり前
どうせ答え合わせなんてできないんだから
間違っていてもいいから何かの土台を見つけよう
「考えている自分」というものは
たしかに存在している
この辺りを土台にしてみようかな
これが間違っているとしたら
手の打ちようが無いんだから仕方が無いよね
では 考えている自分とはなんだろう?
もっと根本的なところでは
『考える』とはなんだろう?
考えるとは新たに創造することなのか
これまであったものを積み重ねてリニューアルすることなのか
これまであったものとは自分自身が生み出したものか
それともどこかから与えられたものなのか
人間の思考は『印象』と『観念』
『印象』と『観念』は単純なものと複合的なものという
4段階の思考形態があるというのは
ヒュームさんの専売特許というより
人間の思考形態としては
実在論・経験論・合理主義なんかでも
否定されていないところだね
最終『理性』の能力に対して意見が分かれるだけの話で
この理性の能力については
今のところ考えても結論は出ない
なんども書いているけどぼくも人間の端くれ(たぶん)
人間が他の生命に対して特別な存在だとするならば
この『印象』と『観念』の4形態のどこかに
他の生命と異なるものがあるんじゃないか
そういうところから生物学に手を出しちゃったんだよ

