行動

独り言
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本能

ぼくにはなじみ深かったこの本能という言葉

現代では使われなくなっている って

知らなかったね

生まれ持ったものが人生を決定する

本能を中心に据えるとそんな考え方が主になっちゃう

だからかもしれないけど

空白の石板説を押し出すためには

本能ってことを前面に押し出すことをやめたみたい

『氏 育ち』論争じゃないけど

人間に関して言えば持って生まれたものが主か

生まれ落ちてからの経験が主かなんて

誰にも断言できないんだから困ったもんだ

空白の石板説ってカッコいいけど

その説に従うとどのようにして育つかが主になって

生まれ持っての資質なんて無いってことになっちゃう

極端に言えば人間の世界で育てられた他の生物と

他の生物の世界で育てられた人間とでは

人間らしさという点だけを捉えると

人間の世界で育った他の生物の方が

人間らしいってことになるんだよ

だから本能という言葉を使わずに

外見的形質が異なるように

精神的な形質も異なるという考え方として

『生得的モジュール』って言葉が出て来たんだね

モジュールは工学なんかで出てくるけど

単純な表現だと『部品』のこと

それぞれの生物では

外見的形質と精神的形質が共に

生存に最適な形質を適者生存という過程において

獲得したんじゃないかという仮定が

生得的モジュールってことらしい

生得的モジュールは別名心のモジュール性

それぞれの生物の理性を司るとされる思考に

生得的に与えられる機能ってことだね

たとえば人間で言えば言語獲得装置という部品(モジュール)が

他の生物より発達したために

言語(固有名詞より文法)が

そして言語から派生する抽象概念が

極端に発達したんじゃないかと言われている

行動

物理学の世界でもよくあることだけど

直接観測の出来ないものに対して

事象の影響を観測することによって類推する

そういう観測方法はよく使われるよね

心の内部の動きというものを直接観測出来ない

そのことは諦める必要があるだろう

脳波や神経伝達の電気信号は

観測できるようにはなってきているけど

あくまでそれは心の動きの伝達信号

生や死なんかと同じで

本体の心の動きは観測のしようが無いんだから

諦めるしかない(今のところ)

だから生物学でも心の動きを

物理学と同じように『足跡』を辿ることによって

類推するしかないわけだ

生物学においての足跡とは?

当然のことだけど『行動』ってことになる

先ほど書いた脳波や神経伝達もしかりだけど

もっとわかりやすいのは外部刺激に対する反応の観察だね

それぞれの生物の反応は

生まれつきの特性と後天的な学習の複合的な要因によって

起因するというのはエソロジーや行動生態学の一致した意見

特に行動生態学では本能と学習を区別することには

否定的なスタンスを取っている

なんといっても学習するということ自体に

遺伝的基盤があるはず という

学習=本能って主張もあるんだ

少し前までは人間の心の生態を研究する心理学の

中心はアメリカだった(今もそうかもしれないけど)

で アメリカの心理学は空白の石板説 

氏・育ちでは育ちが強いって考えかただったんだ

だから本能という言葉が使われなくなっていったんだろうね

もうひとつ 種々の学問の中で

本能という言葉の使われ方が多方面に使われ過ぎて

言葉自体に記号としての正確さが

無くなってしまったというのもあるかもしれない

ただ 生まれつきの心の特性を比較することによって

人間の特殊性がわかるかもしれないということで

本能ってものをなんとか明確に定義できないかってことを

調べようとしていたみたいだね

自然選択説

色々調べまくった結果

(そうとう偏見を持った調べ方だったかもしれないけど)

なかなか人間の特殊性を裏付ける

生まれつきの特性(本能)ってものに

出会えなかったみたい

どうやら体構造としての形質やモジュールとしての心的形質も

多少の違いこそあれ人間の特殊性を示す

そんな感じのものには出会えなかった

生物がどのようにして

現在あるような形になっていったのか

今のところ自然選択説が有力だね

ダーウィンさんの進化論の基本概念 適者生存

進化論は個の選択の積み重ねが種へ そして族へ 

やがては全生物への進化(特殊化)を促した

そういう考え方

個がいかにして生き延びるか

個がいかにして己の子孫を残せるか が最大の焦点

個体は利己的である ということが前提なんだ

ところが集団(社会)を形成する生物の中には

己よりも他者の生存を優先するという

特異な行動をとる個が決して少なくない比率で存在している

自然選択説に疑問が投げかけられたんだね

この自己犠牲という形質は

けっして人間だけの専売特許じゃないんだよ

生物の最重要命題はなんだろう?

もしかすると子孫を残すということかもしれない

その補助システムとして自己保存があるとしたらどうだろう

他者や他種族との闘争 配偶者闘争

それらに勝利したもののみが子孫を残せる

それが自然選択説の骨格

自己保存と種族保存 自分が生き残ることと子供を作ること

この二つを主要命題にすると矛盾が起きかねない

だってこの二つの命題が対立したときに

優先順位が問題になるもの

だから主要命題は種族保存と考えたほうが

合理的のような気がするんだ

だとすると種族保存と利己的な個というものは

両立するんだろうか?

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