宗教と科学

独り言
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宗教

どのようにして宗教が出て来たのか

諸説があるけど

もともとの発端としては

自然の力に対する畏怖というのが大きかったんだろうね

だから宗教も哲学も自然科学も

始まりは同じようなところだったのかもしれない

もうひとつは集団で生活する人類は

他者の死に出会い過ぎたっていうのもあるかも

人間は死んだらどうなるのか?

このプリミティブな疑問を抱くのには

他者の死というものに出会わない限り

行き着けないだろうから

(生きている人間には死の実感は無いもの)

この二つが宗教の始まりじゃないかな

自然の力に畏怖を感じる

そこから多神教(すべての物や状態には神が宿っている)が始まり

その集団の中の序列と死後の世界の支配者なんて考えから

一神教が始まった ってことかな

なぜ自然界の不思議がおきるのか

現代なら可能な 原子や分子の反応

エネルギーの伝導なんかが実験・観測できなかった時代

なんらかの力のが働いていることは

現象を観察すればわかる

だからその現象を起こす力を『神』と名付けたんだろうね

もしかすると現代でも

量子や素粒子 ブラックホールやホワイトホールは

名前を変えただけの『神』ってことかもしれないよ

宗教と科学

初めに書いておきたいのは

科学にしても宗教にしても

人間というものを主体として構成されている ってこと

物理学にしても 「人間が認識し得る……」っていうのが

大前提だもの

そうなると必然的に『死』というものが

人間の認識に耐えうるかどうかが

問題になってくる

生体(肉体)の死というものについては

ある程度認識が出来る部分だと思うよ

脳波の停止だとか細胞反応の停止なんて部分は

十分に実験・観測の余地があるものね

ただその観測結果は生の終焉の部分でしかない

言い換えれば生きているものについては観測できるけど

死というものに対しては認識できないってことだね

自然科学の限界だと思うよ

哲学だとどうだろう

『神』=『存在』として議論がなされているような気がする

『存在』は人間には認識できない

そういう意見が多いんじゃないかな

イデア論のように人間の本質は存在の認識が出来るが

人間の本質を 生きている人間が認識することは不可能である

 

なんて言い訳がましい説もあるもんね

哲学も自然科学もけっして『神』を否定しているわけじゃない

学者さんたちの多くは『神』を信じている人だと思うよ

もっとも『神』が髭を生やしたお爺さん とかは無いだろうけど

宇宙の始原はとか 終焉はとか

場にしてもエネルギーにしても

なんらかの不可知の存在があることは

認めているんじゃないかな

宗教の創り上げられた一つの原因

自然の力に対する畏怖という部分では

宗教も科学も同じだと思うんだ

ただ自然の力の発現の原因に対する認識に

付けられた名称が異なっているだけ じゃないかな

宗教の発展

科学の限界点として死後というものの認識が困難

ということがある

自然科学・哲学 どちらにしても

人間が認識し得る ということが前提なんだから

仕方が無いことだね

この「人間が……」 って言葉は

あくまで生きている人間が ってことだもの

科学的に言えるとすれば

死んで見なければわからないってことになりそう

でもそれじゃ 生きている人間の

死に対する疑問には答えられない

死後がどうなるのかわからなければ

どう生きていけばいいのかも

当然分からなくなってしまう

そこで登場するのが宗教 特に一神教

一神教は多神教の神々を組織付けるために

生まれたものかもしれない

初めは神々の世界を法人格のような設定にしたんじゃないかな

それぞれの個別の自然の驚異を成す平社員

その各分野を束ねる課長・部長

神々の世界の方針を司る取締役会

そして最高峰に立つ社長

なんて書いちゃうと怒られそうだね

その辺りから多神教の数多くの神々が

一従業員としての扱いになってきた

というのは穿ちすぎなんだろうか

天使なんて概念は 明らかに平社員の焼き直しみたいだけど

自然科学や哲学 強引に付け加えるのなら多神教のスタートは

自然への畏怖から

このあたりはほぼ間違いないだろうね

その自然への畏怖に 死後の世界への恐怖

付け加えるのなら生きるということに対する理由付け

それが多神教の種々の神に対する役付けを導いて

組織としての神の世界の成立

その延長線上に一神教を成立させた

そう考えてもおかしくはないよね

この 神の世界の法人格

法人の中での秩序 常識というものを広めるという作業は

社会的結束の強化という面では非常に有効な手段

集団が小さいときには一体感の強化

社会秩序の維持というものに大きな効果があったろうし

時の為政者にとっては神格化

もしくは神とのつながりをうたうことで

理不尽とも言える権力が得られた

そういう事情で一神教が広まっていったんじゃないかな

宗教は時の権力を利用して布教していき

時の権力は宗教を利用してその権力の強化を図る

ある種 win winの関係だったんだろうね

もう一つ 多くの人間は他者に依存したがる傾向にあるそうだ

ただ依存する相手が弱小のものや

自分たちと同列 もしくは格下のものには

依存することを良しとしない

そういった意味では

架空であるかもしれないけど『神』という

絶対の力を持つものには

依存することに抵抗は無かったんだろうね

単純なまとめ

はなしが訳の分からない方向に飛んでいっているね

まあ いつものことだからあきらめているけど

二元論じゃないけど肉体という実体と

精神実体があるんじゃないか

もしあるとすればどちらが主なのか

人間とは もしくはぼくというのは

肉体として存在しているのか 精神として存在しているのか

そのあたりを考えて見たかっただけなんだけど

自然科学は肉体というのか三次元実体について

考察しているものだね

ただ 考察を進めていくと

三次元実体以外のものもぼくたちのまわりには

(世界でも宇宙でもいいけど)

存在しているんじゃないか って

考えられるようになってきたのかもしれない

場にしても演算子にしても

突き詰めていけば『魂』みたいなもの

そう言われたら否定はしにくいよね

もう一つ 三次元実体以外のものとして挙げられるのが

『時間』

三次元実体とはもしかするとスカラー量のこと

哀しいことに人間にはスカラー量それ自体を

認識することができないみたいなんだ

人間が認識できるのはベクトル量のみ

言語の使い方で誤謬が起きるかもしれないけど

知覚はデジタルを観測できるけど

認識はアナログしか理解できないんだから仕方がない

だからスカラー量をベクトル量として変革させるものとして

時間や演算子があるのかもしれない

だったら時間や演算子は人間が創り上げたもので

存在(宇宙や世界)は決定しているのだが

それを人間が認識するためには時間や演算子

極端に言えば因果というフィルターを

掛ける必要があるのかもしれない

因果というフィルター 時間・演算子

人間に認識できない確定された存在を

なんとか人間の認識の中に収めるために

宗教は出てきているのかもしれないね

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