一つの結論

独り言
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存在

『今』ということを前提において

ぼくの頭の中をまとめてみよう

どうせここから先ウロウロと

違う方向に進んじゃうのは想像はつくけどね

存在というのか実在しているものはある

極端な唯我論みたいにそこを否定しちゃうと

どうにも話は進まなくなりそうなんだ

ただし存在・実在というものが

固定というか実体としてあるかどうかは疑問

あくまでもぼく個人の中では

存在・実在はある という意味だね

世界は確率というか可能性の帯のようなもの

その方向性というか可能性のふり幅は決定している

大河のように整然と流れている って感じかな

太陽系・地球あたりの極小単位の存在は

自由気まま 奔放に動いているって考えていいと思う

銀河辺りからその動きに制約が出てくるぐらいで

分子が気ままに動いていても

モル数を超えた集団は一定の方向性を持つ

そんな感じ

太陽系・地球でさえ自由奔放に動いているんだから

その中でうごめいている人間なんて

存在という大河の中では意味なんて無いんだろうね

人間にとってはその川巾は広大で

予測がつかないように見えるだろうけど

じつは方向は決定しているんじゃないかな

だから宇宙というか存在は決定論に従う

そんなもんだと思うよ

宇宙に果てがあるか?

当然あるよね

物理的境界があるのかどうかは疑問だけど

宇宙は大河である という仮定を立てれば

当然川の外側という概念が生まれてくる

世界は確率の帯であるということは

言い換えれば世界は演算子で満ちているってことになる

宇宙の外という概念が

違う演算子で埋まっている場所のことなのか

演算子の無い場所のことなのかはわからないけど

ぼくたち人類は今ある宇宙という演算子の中で生まれた

そんな存在が他の演算子や演算子の無い世界を

理解できるなんてありえないもの

それ以上にぼくたちの宇宙という存在は

時空間として成立していると思うんだ

そして人類はその中の1/8の世界でしか生存していない

存在していないというと語弊があるかも

1/8の世界しか認識できないというのが正しいのかもしれない

時間軸上の正の方向 空間軸上の正の方向

そして光速というエネルギー障壁

もうひとつ 人間の知覚が及ぶ範囲は

その人間の存在している場所から

時間軸上のマイナスの方向にしか働かないんだから

困ったもんだ

宇宙に果てがあるとかないとか

そのあたりは問題じゃないような気がするね

人間のというかぼくの認識の届く範囲には

限界がある

そんなところじゃないかな

宇宙

宇宙というものは実体として存在している

ということにしてみよう

あくまでもぼく個人にとってはという条件付きで

本来 宇宙・存在・実在・事実なんてものは

人間(当然ぼくも含めて)には認識できない

これも認めようよ

ぼくたちにできるのは量子力学風に言えば

重ね合わせ状態の存在を認識する(観測する)ことによって

実体としてそこに現れたモノを

認識するだけってことだね

ぼくたちのいる世界はなんだろう

古典物理というかニュートン力学辺りまでは

絶対時間の中を時間軸に沿って移動している

3次元空間として世界は捉えられていたよね

そこに待ったをかけたのがアインシュタインさん

アインシュタインさんというより電磁気学かもしれないけど

世界は時空間という4次元の世界であるとして

理論を進めていった

人間の知覚の中で到達できるものは3次元空間

極端に言えば2次元静止空間が限界かも

3次元空間の動きについては知覚では追いつかず

ギリギリ認識を伸ばして想像できるかどうかのところ

動きというのは時間

知覚の及ぼせる範囲は空間のみ

認識の及ぶ範囲は時空間の一部

そんなところなんだろうね

量子力学の重ね併せられた空間というのはどうだろう

たぶんこれは知覚・認識の範囲を超えているんだろうね

あくまでも数学という言語で書かれた

ストーリーでしかない

人間は記号を使わなくては考えることができないという

パースさんに従えば

数学言語という記号も認識範囲には入るかもしれないけど

でも 数学言語という記号は

一般の人間(少なくとも僕)には

観念として存在していない もしくは比較対象できないんだから

思考ツールとしては役に立たないかもしれない

(少なくともぼくにとっては)

宇宙は3次元空間から4次元時空間という概念で

考える必要があるってことが

相対性理論で導かれたわけだ 

そして量子力学で

宇宙は4次元時空間という概念を超えて

より次元の高位の存在だってことになったのかもしれない

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