肉体と精神(西洋編)

独り言
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哲学的考察

肉体と精神が別物であるという主張は

必ずしも哲学の主流を占めているわけではないんだ

あえてその主張をした人物と言えば

西洋哲学ではプラトンさんのイデア論 デカルトさんの二元論

そのあたりが有名かもしれない

それ以外の学者さんたちも数多くの説を述べているけど

結局 本筋としては似たようなものになっている

もともとは『存在』というものは

人間には認識できないという命題がスタートライン

イデア論じゃないけど『存在』を感じ取れるのは

精神だけだって感じかな

神学にも近いけど魂は神の領域

現生は肉体の領域ってことかもしれない

どちらにしても主は精神ということ

二元論では肉体と精神は分離可能 というか

肉体は物理法則に従って変転するものだけど

精神は肉体から独立して

意識的な思考や自我を持っているという意見が多い

イデア論に至っては

もともと物質世界は不完全で変化し続けるものだから

存在には届かないとしているね

肉体は物質世界の存在

当然不完全なものでしかないってこと

イデア(本質・存在)に近づけるのは

精神しかない

肉体という物質世界の存在は

どちらかというと精神を束縛するもの

そこまで言い切っちゃう説もあるぐらい

実際 プラトンさんも

「肉体は魂を束縛する存在 

魂は肉体から解放されることによって真の知識や理解に至る」

って 言っているみたい

問題は科学として精神をとり上げると

実験や観測というデータ収集が使いにくいこと

物質世界に残された足跡しか観測できない ということは

足跡からの類推しかできないんだから

時間や場に近いかもしれない

それよりもっと厄介かな

足跡でさえはっきりしていないものね

だから哲学分野より宗教分野の方が

突っ込んだ説があるのかもしれない

宗教的考察

精神と肉体については

宗教の方が切り込んでいるような気がする

東洋と西洋とでは切り込み方が少し違うけど

基本としては心身分離は当然のことと見なされているようだ

西洋で有名どころの宗教として

キリスト教・ユダヤ教・イスラム教あたりで

考えてみよう

もっともこの三つの宗教は

基としては同じ発想から来ているのかもしれないけど

(こんな風にまとめちゃうとクレームは来るだろうな)

ユダヤ教とイスラム教はわりと似ている感じかな

肉体は神が物質(泥という説が多いけど)から

人間のかたちを作り上げ

その人形に神が息吹を与えて

人間というものが誕生するって考え

魂と肉体は現世ではけっして切り離されたものではなく

心身合一の存在として

人間というものは存在しているとしているね

肉体が浄化されることによって

精神も浄化されていく ってことかも

ユダヤ教では肉体は神の指示を実践するための器

イスラム教では神の意志を実現するための道具

そのような説明がされている

キリスト教でも同じようなものだけど

生きている間の精神と神とのつながりが

他の二つより濃いのかもしれない

なんにしても西洋宗教では

肉体は地上での生活を支えるための器

精神は神とのつながりの中で存在している

そういった発想かもしれない

肉体と精神ということを考えるのには

死後の捉え方が分かりやすいかも

西洋の宗教で共通しているのが

人は死ぬと肉体と精神は分離するという考え方

死はソーマからプシュケーが分離すること

こんなプラトンさんの考えが

根底にあるのかもしれない

各宗教とも死後肉体は土に還ったり地に還るってところは同じ

そして魂は神の元に還るってことになっている

もっとも神の名はそれぞれ違っていて

ユダヤ教ではヤハウェ(アドナイ エロヒム)

イスラム教ではアッラー

キリスト教では神(父なる)

のところへ戻るってことかな

イスラム教 キリスト教は

終末の日(神の審判とかアルマゲドン)に

肉体が復活して魂と再統一されることになっているね

その時までは死後の人の魂は

神の元にあって再統一後に行き先を

天国や地獄に振り分けられるそうだよ

ユダヤ教は復活思想は後期のもの

もともと肉体によっての現世おこないで

魂の浄化を目指すというところが本筋

死後魂は神の元へ行って浄化が足りなければ

神の元で修練するらしい

ユダヤ教のいいところは

全ての魂(後期の心身合一も含めて)は

最終的には神の国で過ごすことになるところかも

どの宗教にしても

肉体は消費期限があり精神は不滅ってところは一緒

ただ心身合一の時が来たときに

現在の肉体が復活するのか それとも新しい肉体なのかは

詳しくは書いていないみたいだね

イスラム教はニュアンスとして今の肉体の復活

キリスト教はイメージでは代わりの肉体って感じかも

ユダヤ教は(現在のユダヤ教は知らないけど)

肉体の復活にそれほど重きを置いていなかったんじゃないかな

キリスト教・ユダヤ教では火葬が認められているけど

(抵抗のある宗派はあるみたいだけどね)

イスラム教は絶対禁止になっているのは

その辺りがあるのかもしれない

単純なまとめ

西洋的な宗教の特徴としては

魂というものは神の一部を

肉体というものに分け与えられた存在が

人間 ってことみたい

基本的には魂が主で肉体は従ってことかな

宗教なんてもともと生きている人間のためのもの

だから肉体も神が創り上げたものということにしなければ

人間とは何か? という問いに

答えを出すことが難しいかったんだろうね

肉体の行為が精神の浄化につながるという説で

魂の世界を現実の世界に結び付けた

そういうことなんだろうと思うよ

神という概念を存在や世界と言い換えれば

イデア論に行き着くかもしれない

精神とは存在と同じ もしくはその一部である

肉体とは実在とされるぼくたちの認識できる世界の存在

肉体と精神を兼ね備えた人間というのは

認識世界と存在との間の生物

そんなところかな

存在から切り取られた精神は

肉体崩壊後またもとの存在へと帰還する

そこまでにしておけばよかったんだろうけど

なんといっても人間のための宗教

人間というより個人の為に自然の不思議や死というものに

理屈を付ける必要があったんだ

だから最後には

個体という肉体を復活させる必要があったのかもしれないね

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