どこへ行くのだろう

独り言
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脱線に次ぐ脱線

書いているうちにどこへ向かっているのか

分からなくなってきたね

どうやら螺旋状に思考を積み重ねていくのじゃなくて

同じところをぐるぐる回っているみたい

困ったもんだ

たまに前に書いたものを振り返るときがあるんだけど

同じことをくどくど書いているような気がする

まあ ぼく自身の思考の散歩ってことで

許してもらうしかないかもね

まとめてみよう

あくまでも『今』(書いている時点)のところ

そういう前提でまとめてみようか

世界(存在・宇宙etc)とはなにか?

考えてみれば恐ろしいところに

足を突っ込んでいるんだけど

ぼく自身の『今』の考え方のまとめだよ

まず『唯我論』について

唯我論っていうのは

自己(我)以外の存在を認めないとか

認識できないという考え方だね

この中の極端な説で 自分以外は存在しないというのがある

ある種 世界というのはぼくの夢の世界ってことかな

ただそうなると ではぼくの本体というものは

どうなっているのか? って疑問が当然わいてくる

デカルトさんみたいに

世界全てを疑って なお残るのが

考えている自分である なんて

おこがましいとは思うけど一理あるのかも

ただ デカルトさんはある意味キリスト教徒

自分の存在を肯定した先に

肯定した自分が手に入れた情報も存在するという

結論に達しちゃった

理由として『神』の存在を挙げているんだね

そのあたりがどうも引っかかっちゃっているんだけど

この自分以外は存在しないという

極端な唯我論も当然否定できないんだけど

この論に従うとどのような結論にも達せない

そういうジレンマを含んだ論だから

いったん【】に入れて置いておこう

(現象学のやり方だね)

だけど唯我論自体をぼくは肯定しているみたい

極端な唯我論だけじゃなくて世界は存在している

だけどその世界とはぼくが認識している世界のことである

このあたりは妙に納得できるものが感じられるんだ

量子力学の観測者効果じゃないけど

ぼくが観測できるものが世界である

そう言い切れれば楽なんだと思うよ

ただそうなると量子力学の波動関数が表す世界は

確率解釈の世界ではなく

多世界解釈の世界になるようにも思えるけど

実在

局所実在論というのは

ぼくたちにはなじみやすいよね

「私が見ていなくても月は実在する」 なんて

わざわざアインシュタインさんの言葉を借りなくても

そんなもんだと思っちゃうじゃない

局所性というものについては

必ずしも納得できるかどうかは疑問だけど

近接作用が当然のことだとしても

その伝達速度が光速に近くなっちゃうと

ぼくたちの身の回りでおこる(局所)近接作用・情報が

遠隔作用のように瞬時に伝わっている

そんな風に見えるってことは

不思議じゃないもの

目に見えているものがタイムラグを伴って

見えているようには思えないんだから

だから局所性についてはいったん保留

問題は『実在』ってものだね

量子の存在は確率でしか表せない

波動関数はその時点での量子の存在確率しか

導き出せない ってことになっている

では粒子は確率でしか表せないのか?

 

そういうわけじゃないのが困ったところ

観測すればちゃんと一点にあるんだよね

実在が先か 観測が先か

局所実在論は人間がいて初めて成り立つのか

人間がいなくても宇宙とはそういったものなのか

このあたりが自然科学・哲学を含めての

一番の問題だろうね

そして もしかすると

人間には解答の出せない問題かもしれない

認識

ぼくはたぶん人間(だと思う)

実在というものが人間が観測して初めて存在するのか

人間なんていなくても存在しているのか

このあたりが確定しないと

なかなか次のステップには進めないみたいだね

量子力学が正しいとしようよ

実在という形態はあくまで可能性の

重ね合わせでしかないって考え

だとすると 実在とは人間が認識することによって

はじめて実体を持つってことにならないかな

宇宙は何かで満ちている

場とか演算子とかいろいろ言われるけど

まず物理的実体は無いものじゃないかな

宇宙に満ちているものに物理的実体を持たせると

それこそエーテル論みたいに

その存在を導き出す必要が出てくる

そしてたぶん(今のところはだけど)

その存在を人間の持っている物理法則に

組み込むことは出来ないんだろうね

ただ宇宙に満ちているものは

ブラックボックスのように

そこに何かが入力されると何かが出力される

そういう特性を持った物だろうとは想像できる

ただしその変換方式は理解できないんだろうな

(あくまで今のところは)

だから宇宙もしくは実在(存在でもいいかも)とは

(初期の)量子力学の言う波束の世界と言ってもいいかもしれない

その波束が宇宙というブラックボックスによって

実在として姿を現すってことで

姿を現すという言い方はおかしいかな

人間の知覚・認識に届く ということかもしれない

そこで問題

人間の知覚・認識に届くということは

人類すべてに届くのか個々の人間に届くのか

ぼくの知覚しているものとあなたの知覚しているものが

同じなんだろうか

月が見えるとしようよ

ぼくが月が出てるね と言ったとして

あなたも月が出ている と答えるとするね

ではこの二人の見ている物体は同じものなのかな?

見えている物体=月と認識しているのは

ぼくもあなたも物体の概念でしかないよね

ヒュームさん流に言う

月と呼んでいる物体を知覚しているのは個々人の印象

その情報を個々人が過去のデータと照らし合わせて

月だという観念を持っちゃう

今度はパースさん流に言って

その観念の月という記号を言語という記号に変換して

お互いに伝え合う

もしかしたらお互い 

まったく違うものを見ているのかもしれないよ

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