思考の散歩

独り言

認識と知覚 Ⅰ

知覚と観念。けっこういい加減に使われるから立ち止まって考えてみると本来の意味はあやふやになってしまう。知覚とは何か。観念とは何か。どちらも対象を判断するためのツールだということは間違いが無い。ただ対象を識別するということの意味がまたあやふやではある。『真実』がひとつなのか『事実』がひとつなのか 難しい問題かもしれない。
独り言

因果関係

パースの「人間は前後のつながりのない物事を理解する能力は無い」という説は言い得ているようだ。宇宙という変転の中で生まれた生物 そして延長上の人間。因果関係の無いものを理解できないのは仕方がない。人間の知覚はデジタル 認識はアナログ。数学はアナログをデジタル近似にするための言語。人間に知覚を認識することは出来るのだろうか。
独り言

宇宙

宇宙はなにかで満たされている。特別な考えかたじゃない。水槽の中の魚が自分のまわりを水が満たしていることに気が付いただけ。では その満たしているものは? 現存 観測できるものは結果にしか過ぎない。仮に演算子のように入力→出力を是とするならば出力しか観測できない。そして出力は次の入力となり… そのループに終焉は無い。
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独り言

さて どちらに向かおうか

宇宙や世界(色でも存在でも)。そこには『なにか』が詰まっているということを是としよう。逆に言えば『なにか』が存在している範囲が宇宙だということ。だとすれば人間という肉体を持つ存在も当然『なにか』の範囲から逃れることはできなくなる。では人間の持っているかもしれない精神もその『なにか』の存在範囲から逃れられないのだろうか。 
自問自答

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『メメントモリ』 どうせ人は死ぬんだよって たぶん一つの事実。だから人はどう生きるかなんて考えちゃう。でも『死』 特に自分の『死』ってなんだろう? 他人の死は理解できるけど自分の『死』に実感がわく? 宇宙(存在)・時間・意識を突き詰めればなにかわかるのかもしれないけど未だ人類の研究はそこまで進んでいないんだよね。
自問自答

哲学編の中途半端な結論

精神が主か肉体が主か。なかなか結論の出ない問題だよね。ただじぶんが考えていると思っていることの約50%は遺伝によってもたらされているもの。残りの50%の学習(努力でもいいけど)による習得もそのほとんどは進化・時代・環境の刷り込みによるものだからね。果たしてじぶんという『個』のアイデンティティはどこにあるんだろう?
自問自答

精神と肉体

存在と現存在。言葉にすればかっこよく聞こえるけど単純に自分自身とそれ以外の全宇宙 (世の中のすべてかな)の関係性のことだね。ぼくたちは自分の持っている五感でだけ世の中と接している。五感なんてたかが知れているんだよ。暗闇の中で手探りで動き回っているのと大差ないぐらいに。そんな状態で世の中のことが正確にわかるわけがないよね。
自問自答

ひとまずここまでのところ

個が宇宙(存在)は認識できないというのは哲学の中で多数を占めている意見みたいだね。個(人間)は存在の一部であるからとか 生物としての認識能力の限界とか 主張にはそれぞれ理由が述べられているけど 存在の本質に触れることは至難ということで一致しているようだ。その意味では自然科学者の方が挑戦意欲は大きいのかもしれないんだ。
自問自答

『存在』と『存在者』

ハイデカーさんの思想はすごいと思う。だけど今回は思想は無視して言葉だけを拝借してみよう。『存在者』を人間であるってことを無視して 『現存在』にとって関係性のあるものすべてと考えたらどうだろう。その関係性には濃淡はあるし まるで接点のないものもある。でも それが『存在』のいわゆる『行動の軌跡』になるんじゃないだろうか。
自問自答

人間ってものから少し離れてみよう

『存在』と『現存在』 言葉にこだわらなければ『人間』と『自然』の関係のように扱われて研究されている。『現存在』と『存在者』 これも個人と社会の関係として研究されているね。要は人類とそれ以外と 人類の中の社会構造の研究は進んでいるわけだ。でもぼくたち(ぼく)の一番知りたいのは『個』と『それ以外』 ってことじゃないのかな。
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