意思決定
すべての生物について言えることだけど
時々刻々と変化する状況の中で常にいくつかの
選択肢を持っている はず
その中で一つの行動を選択するというのは
生物全ての個体が意思決定者である
そう言ってもおかしくないよね
個体の意思決定とはどういったものなのかについては
切り口として2つあるような気がするんだ
ひとつはその個体が属している種や
個体自身の持つ体構造や感覚器 神経系などの
形質における制約の中での選択
もうひとつが形質からくる制約の中での選択肢の中から
なぜその選択をしたのかという意思の問題
属する種やその中での一個体の持つ肉体的制約については
個体にとってどうしようもない現実
諦めるか慣れるかしかない
スヌーピーじゃないけど
配られたカードで勝負するしかない ってところだね
そういう意味で言えば形質の制約の中で
どのような選択をするのかという意思が
個体の意思決定と言えるんじゃないかな
問題は個体は利己的である という
命題の指す『個体』とはなにか? ってところ
自己=個体 と規定しちゃうと
社会行動をする多くの生物の自己犠牲という概念の
説明がつかなくなってしまう
生物の意思決定は自然選択説に従うというのが
現在での一般通念
だとすれば自己=個体という概念は
自己犠牲という選択を説明できないんだ
生物の最重要命題が種族保存(ということにしておこう)
そしてその命題をこなすための
サブシステムが自己保存 他者との競争での勝利
そこに自己犠牲を組み込むために
サブシステムの自己を種族と書き換える説も出て来た
生物個体の行動は群れや種の利益を最大化するという仮説
『群選択説』だね
だけどこれにしたって自然選択説に従うと
必然的にどんどん薄れていくはずなんだよね
個体は利己的である
これを正しいとするのならば
各生物の『個』という概念 もしくは『種族保存』という
最大命題を変更する必要が出てきたんだ
利己的遺伝子
生物にとっての『個』とは自己という肉体ではなく
自己の持つ遺伝子である
自然選択説と自己犠牲という矛盾する現象に対して
導き出された一つの答え
種族保存という考えを少し変えて
個体の遺伝子を繋いでいくことが生物の目的である
そのように規定すると自然選択説と自己犠牲というものが
両立するんじゃないか というもの
単純に言えば自分の子供を残すということは
自分の遺伝子を残すということじゃないのか
ってことだね
主体は肉体にあるんじゃなくて遺伝子側にあるってことかな
ということは個体の持つ意思というものは
遺伝子によって刷り込まれたもの とも言えるね
遺伝子側に立って考えてみよう
残したいのは自分と同じ型を持った遺伝子
遺伝子型さえ残れば肉体なんかどうでもいいってこと
極端に言えば自分の犠牲によって
子供・親族が生き延びるとしようよ
たしかに自分と同じ型の遺伝子は
等親が離れるごとに等比級数的に減ってはいくけど
残った総和が自分が生き延びたときの数(1かな)
より多くなる状況では
自己(肉体)を犠牲にするということが
最適解になる ってことだね
個体は利己的であるという場合の『個体』を
肉体としての一個体としてではなく
個体=自己=自己の持つ遺伝子型 と考えれば
自然選択と肉体の自己犠牲とが矛盾なく語れることになる
各個体は意思決定をする ということと
個体というものの主体は遺伝子である という主張をすると
遺伝子に意思があるのか? という
疑問が生まれそうだけれど
遺伝子は形質を決定する設計図
形質はその決定に従って行動を起こすわけだから
意思はあくまで肉体を持つ個体側
その肉体や精神を形成しているのが遺伝子
そう考えれば矛盾は無くなると思うよ
ESS理論 等
種族保存ということは遺伝子を伝えることだと仮定すると
利己的因子と利他的因子の配置をいかにすべきか
その解として登場したのがESS理論
もともと経済学の最高の利得を得る方法を
数学で表そうとしたゲームの理論の応用だね
個体を肉体だと仮定するよ
自然選択だと個体は利己的でないと生き延びれない
だが利己的個体の集団では種としての存続は望めない
利他的な個体の集団だと
種の存続の前にすぐに全滅する可能性が高い
種として未来に渡って生き延びるためにはどうすればよいのか
このバランスをどうとるのかについては
冷徹な数字としてゲームの理論は最適だったわけだ
血縁(遺伝子)の度合いの重みづけと数とを加え合わせた量
包括適応度とも言われる数字が最大の大きさになるような行動が
進化戦略としては最適になる ってこと
ゲームの理論は最適戦略に特化
個の意思や思惑なんてものには惑わされず
種としていかに生き延びるかを
冷徹な数字ではじき出すものだね
そしてこのESS理論
現実の生物進化をうまく映していたんだ
ということは
意思決定は個(肉体を持つ個体)によって行われるのではなく
個をそこに在るがままに規定した
遺伝子が意思決定の鍵を握っている
そういう考えから
利己的なのは個体ではなく遺伝子である
そういった説が有力視されたってことじゃないかな
個体にとってはいかに自分の持つ遺伝子が
生き延びる確率が高いか
遺伝子にとってはいかに自分の示す情報が
極力長い未来にまで届くのか
それが進化ゲームの解ってことなんだろうね
人間バイアス
冷徹な数字を使った進化ゲームの解
初めのうちはなかなか賛同を得られなかったみたい
人間バイアスという言い方があるのかどうかは知らないけど
人間には『人間とは特別な存在』という
拭いきれない偏見があることを否定できない
科学はこの人間バイアスから離れ
機械論 合理主義なんてものを基礎として
客観的な視点で物事を観測しよう ってところから
スタートしようとした学問だけど
どうしても人間は他の生物とは違うという
固定概念からは抜けきれないみたいだね
利他的とか自己犠牲という行動は
社会生活を送る生物には珍しくない行動だし
そういった生物の研究(社会生物学)から
利己的遺伝子という考え方が導き出された
特にESS理論が生物に適応できるということが
問題にもなったんだね
ESS理論はもともとはゲームの理論の発展形
ゲームの理論は人間の合理性を前提として
つくられた理論
その理論が他の生物にも適用できるとなると
人間の特殊性が失われてしまう ってこと
業界では社会生物学論争というものがあったみたいだよ
現在のところでは人間の行動や
心理 社会 経済なんかにも
ESS理論やその他の行動生態学の理論が
適用できるという研究結果が出ているけど

