現存在
組織と個人の関係は
他の人に任せておこう
特に現代の心理学・哲学あたりは
世の中でいかにうまく生きるか
もしくは個人が組織にいかに貢献できるか
この辺りの研究に余念が無いんだから
ただ 世の中を
うまくわたっていく方法がわかったとしても
個人が個として納得がいくかどうかは別もの
ぼやかした言葉で言えば
個の幸せと社会の中での幸せが
同じものなのかどうかってやつ
そしてぼくが今やっているのは
社会や世の中 ある意味存在者や存在知なんて
じぶん以外のものには
関心が持てないことなんだ
現存在 ハイデカーさんはそれぞれの人間に
現存在の意味付けをしようとしたみたいだけど
ぼくの中での現存在はぼく個人でしかない
そうなると比較対象として残るのは
現存在vs存在 の構図
もっと極端に言えばぼくvs存在 だね
うわっ とんでもなく高慢
自分で書いて顔が真っ赤になっちゃうよ
ところが 存在とは何かという問いに対して
今のところ出てくる資料
存在を追求しようと頑張っている学者さんたち
特に物理学者さんたちの研究成果は
困ったことに存在知でしかないんだ
存在者・存在知を軽視しちゃうと
全く先には進めなくなる
困ったもんだ
だからこうして同じようなところを
グルグル回っちゃうことに
なるんだね
ぼく自身が存在に挑戦する
それができれば最高なんだろうけど
思索を巡らせることは出来たとしても
それがどこまで届いているのか
わからないんだから
ただの空回りと変わらないんだよ
デカルトさんのcogito ergo sumほど
『我』ってものに自信が持てないし
ただ一応の(今のところ正しいとされる)仮説や
ぼくが指針にしている『散歩』あたりを
適度に組み合わせて
自分なりの仮説を立てるのも良いのかもしれない
観測
量子力学での観測問題
事象のすべては確率で語られるという
確率解釈は人類に対しては有効なんだと思うんだ
人類というものを仮に地球上に限定すれば
種々の事象はおぼろげな確率の下で
存在しているといっても良いんじゃないかな
ただ 個人について言えば
『多世界解釈』が成り立つ
そんな感じがするんだけど
個にとって過去・現在は確定している
これって認めても良いような気がするんだ
これを認めないと話が始まらないんだから
ただ 個というものが絶対的存在なのか?
ここが問題なんだよね
ぼくにとって過去現在は確定している
(ような気がする)
ただしこの『ぼく』というのは
今現在ぼくの属している時空間に限って という
条件付きなんだと思うんだ
他人のことはどうでもいいと書いたけど
どんな人でも(多分)過去において
選択肢の一つや二つはあったんじゃないかな
「あの時こうしておけばよかった」
なんていうセリフは結構耳にするんだから
過去において違う選択肢をしていても
現在がそれほど変わっているとは限らないけど
選択肢の違いで微妙に変化した人生というのは
起こり得るとは思うね
ただ人間の認識能力は
現時点で存在している時空間しか
観測できないように出来ている
だとすると
幾多にも変転していく人生の別ルートは
けっして認識できないものってことじゃないかな
だからSFやアニメの世界に出てくる
パラレルワールドのように
分岐した世界線がけっして交わることは無い
というより交わったり重ねあわされたりしても
けっして認識できない ってことかもしれない
ただ 未来に対しては話が変わってくる
時間軸の進行方向は人間には観測できない
(あくまでも今のところ)
というのが現在のところの通説
この『人間には』というのが問題
生物としての人間には
時間軸の進行方向は観測できないように
造られているとは思えるんだ
だから存在者や存在知の世界では
実像は観測できないんだと思うよ
現時点での時空間はあくまでも
確率解釈の世界だと思うから
未来に対しては確率でしか語れない
確立じゃないな
期待値でしか測れないかもしれない ってこと
だけど『個』に関してはどうなんだろう?
未来
アシモフさんの『銀河帝国の興亡』という本がある
おもしろい話なんだけど内容はひとまずカット
その中に出てくる『心理歴史学』という
架空の学問がおもしろいんだ
人類の未来を予測するための
数学的手法として紹介されているんだけどね
人間個人個人の動きは予測不可能
ただしそれが集団になれば
予測がある程度可能だという説なんだ
ただし集団といっても少々の人数じゃないよ
アボガドロ定数って聞いたことないかな?
同一圧力 同一温度 同一体積の
すべての種類の気体には
同じ数の分子が含まれるという法則 という
分かる気がするけど 理解できない法則だね
理解できるかどうかは別にして
ひとまず概要だけでも書いておこう
前提として対象が気体だということを
考えてないとわからなくなるよ
同じ温度と圧力の下での体積の中では
どんな分子でも そこに入っている分子数は
同じだよってことになるんだ
単位としてmol(モル) っていうのを使う
1モルの気体は どんな気体でも
同じ体積を占めるってことだね
より分かりにくくなったかな
実例を挙げておこう
1mol(モル)の気体は0℃ 1気圧の状態で
22.4リットルの体積だってこと
なぜ22.4なんて中途半端な数字がでてくるのか?
どうやら「理想気体の法則」かららしいんだけど
あまりぼくの興味を引かないからパスしておこう
だから1モルは大体ペットボトル11本くらいで良いんじゃないかな
で その1モルの体積の中には
どんな気体分子も6.022 × 10²³個入っているらしいんだ
6.022 × 10²³個って何個だ? って思うよね
大体だけど6000垓個らしいよ って
まるでわからないけど
こんな数字はどうでもいい
これを人類に当てはめたのが
『心理歴史学』 ってこと
心理歴史学
気体の分子はいつだって動き回っているんだね
(熱運動のためって言われているけど)
単体でも動き回っているのに
その運動が他の分子に衝突したりして
分子の運動は予測がつかないほど
不規則に動くことがわかっている
(ブラウン運動って聞いたことがあるんじゃないかな)
ところが先に書いたような
モル単位で考えると
分子の集団の運動に関しては
ほぼわかってきちゃうっていうのが
『理想気体の法則』から導かれているんだね
ようするに 個としての運動は不規則でも
集団 それも大きな集団で考えると
その集団としての動きは
ある程度わかるってことみたい
これを人類に当てはめよう ってことで
アシモフさんが『心理歴史学』なんて架空の学問を
創作した ってこと
個の人間が何をしでかすか なんてことは
まず予測不可能
だけど人類の数が1モルに含まれる数(6000垓人)に
近くなれば人類としての運動が予測できる
という設定なんだ
もちろん現代の人口 たかだか80億人では
とてもじゃないけど予測はつかないだろうけど
銀河帝国の興亡というSF小説では
人類が宇宙に広がっていて
この6000垓人に近くなっているという設定で
描かれているんだから
話の骨格としては面白いものになっているんだよ
アシモフさんのことだから
ロボット3原則と同じように
心理歴史学にも制約を設けている
1:膨大な人数から構成されている集団を扱うこと
(モルに含まれている分子みたいなもんだね)
2:心理歴史学によって導き出される予測を
一般の人々が知らないこと
(分子一個一個はあくまでもランダムに動くってこと)
3:あくまでもその集団の構成が単一であること
(人間をその指標に入れるためには集団の構成は人類のみであること)
実際のところ今の人類の数は少なすぎるから
この地球で心理歴史学をあてはめても
誤差が大きくなりすぎるだろうけど
この考えはひとつの方向性は持っているように思うんだ
個の行動パターンはわからない
だけど個が集団になっていけば
ある程度パターン化してくる
そしてそのパターンは
母集団が大きくなればなるほど
ブレ幅が小さくなっていく
ぼくたちは個として生きているのか
集団の中の一部として生きているのか
さて どちらなんだろう?

