人間の限界

メメント・モリ自問自答
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人間の能力

すこし物理学から離れるよ

理性ってものを考えてみよう

(哲学に戻っちゃうけど)

プラグマティズムを覚えているかな?

どちらかといえば

現代哲学の方向を

現実主義というか

実用主義として

捉えようと誘導した考え方だけど

その分岐点にいた

パースさんが

昔から議論の的にされていた

理性の働きってものを

こう書き示している

あくまでも『人間には』という

前文が入るんだけど

*自分自身の精神を観察する方法は無い

精神に対する知識は

外的事実に関する知識から

仮説的に推論される

*前後のつながりのない物事を

理解する能力はなく

すべての認識はそれ以前の認識によって

論理的に決定される

*記号を使わずに考えることはできない

*絶対的に不可知なものの

概念を持つことはできない

むずかしく書いているけど

人間ってものは

実際に観測できて なおかつ

因果関係のあるものしか

理解できないっていうのが

中心にある考え方じゃないかな

哲学では決定論と

非決定論の間の論争があるけど

ようは 人間の『意思』ってものが

あるか無いかの攻防

決定論でも

因果決定論とか

確率決定論なんていうのもあるけど

どちらにしても

因果関係が大前提になっているんだ

非決定論にしたって

人間の意志が

未来の出来事に関与できるのかどうかという

因果関係を前提にしたもんだからね

物理学にしても

世界の本質を考えるにしても

人間の限界ってものが

その前に

立ちふさがっているのかもしれないんだよ

人間ってなんだろう?

ダーウィンさんが書いた

『種の起源』

これが与えた影響っていうのは

意外と大きかったみたいなんだ

現代のぼくたちからすれば

人間っていうのが

生物の進化の果てに

登場しているっていうのは

それほど違和感なく

受け入れられてるけど

当時の人々にとっては

ものすごい衝撃だったみたいだね

その影響は

当然哲学にも及んでいるんだ

さっき書いた

プラグマティズムなんていうのも

ダーウィンさんがいたから

出て来たって言っても

過言じゃないと思うよ

自然選択説と性選択説

違う種による生存圏の取り合いと

同種間(特に雄)の生存競争

ようは 個体が生き延びるためと

子孫を残すための戦いが

生物を変化させていって

その先に人間がいるってことだね

これって別に人間が

特別な存在だってことじゃなくて

ただ生物として

進化したってことなんだから

そのうえ

進化っていうのは変化のことであって

進歩のことじゃないって

言い切っちゃった

宗教はとうぜん人間を

特別に選ばれたものとして

捉えているよね

宗教以前のそれこそ

ギリシャ哲学のあたりでも

人間というものを

特別な存在とみなしていた

ぎりぎり東洋哲学で

命(生き物)ってものを

同一線上においていたものもあるけど

生物界の上位種として

人間は捉えられている

もっとも科学ってものは

人間が作り出したもので

仲間たちの間で

情報を共有できたらいいな

ってことだから

当然かもしれないけどね

現代の科学で

一番問題になっているのが

観測とは何か?

ってことじゃないかな

でも簡単に

観測って言っているけど

あくまでも人間による観測であって

しかも 人間がわかる

観測結果ってことだよね

だとすれば

どれだけ観測装置や制度があがっても

人間の限界は超えられない

ってことになっちゃうんだよな

理性って?

『理性』って聞くと

なんとなく人間が

生まれ持っている

『善』もしくは『正しさ』を認識する能力

のように使われている事例が

多いように思わないかな

でも哲学の世界では

少し違ったニュアンスになる

ような気がするんだ

もっとも発表する人によって

使い分けがされるから

必ずしも統一された定義

じゃないんだけどね

それでも 分類的に

生物の中で『人間』を特別視するために

理性を持つものは人間だけだ

って定義した人もいるくらいだから

ひとまず『人間』=『理性』を持つ生き物

ってことにしておこうか

と いうことは

人間ってものを考えるには

理性ってものを考えないと

話は進まないよね

何度も書くけど

ぼくにとって人間がどうのこうのなんて

興味は無いんだ

『人間』じゃなくて

『ぼく』について

知りたいだけなんだ

だけど 一応ぼくも人間の端くれ(たぶん)だから

人間て何かってことが

どうしても関わってしまうんだよね

そこで一つの

定義をしてみよう

『人間』で括らなくてもいいけど

『知的生命体』

(「宇宙がどうのこうの」とか

「生きる意義は?」なんて

くだらないことを

考える存在だね)

の定義として

『理性を持つもの』

ってことにしてみよう

そうなると『理性』ってものを

今度は定義しなくっちゃ

ならなくなっちゃう

ウィキペディアの

『理性』の冒頭部分では

「人間に本来的に備わっているとされる

知的能力の一つである。

言い換えれば推論能力」

って書いてある

なんとなく納得できそうな

出来なさそうな定義だね

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