思考の散歩

自問自答

人間の限界

物理学にしても哲学にしても それこそ学問にこだわらなくてもぼくたちが興味を示すのはあくまでも『人間』基準のものなんだってことをわかっていないとおかしくなっちゃうよね。物理学の観測しかり人間の理性的判断しかり『存在』ってものを『人間』というフィルターを通してしか観測できないっていうのはどうしようもないことなんだろうな。
自問自答

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ぼくがしつこく書いている『デジタル』vs『アナログ』。やはり量子論や相対論でも問題になっているように思うんだ。因果関係っていうのはアナログ、それに対して観測ってもののデータはデジタルで出されるものなんじゃないかな。量子力学の不確定性原理もベクトル量・スカラー量もこの二つの捉え方の違いのような気がするんだけど。
自問自答

一休みしようか

物理学って小難しい数式なんかでとっつきにくそうだけど確定事項を扱っているからある意味単純なのかも。アバウトな部分を極力排除しようって姿勢は見習うところがあるよね。ただ人間にとってシンプルってことは人間の限界までしか理解できないってことなんじゃないかな。物理学のシンプルと哲学のアバウト。なんとか合体できればいいんだけど。
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散歩の途中

新天地 Ⅱ

脱線に次ぐ脱線。『散歩の途中』のメモから文章をおこしているんだけどどうにもこうにもまとまりがつかなくなってきている。で、まとまりがつかなくなったってことで思い出したのが国会の答弁。立法の場でのあのくだらないやり取りがじつは裁判の判決の参考になるって聞いた時にはおどろいたもんだ。
散歩の途中

新天地

もともと生き物っていうものはイレギュラーな存在。自然の中に組み込まれながら自然と対峙して存在しようとするんだからどうしても無理がおこる。存在しているだけで大量のエネルギーが失われていく、だから常にエネルギー源を供給し続けないとならないっていう宿命を持ってしまう。存在自体が『業』の塊なのかもしれないね。
散歩の途中

勢力争いⅡ

全体と個。歴史に描かれるのは全体の流れだけ、そして歴史の物語に描かれるのは目立った一部の人だけ。でも、その歴史の時間の流れる中に数多くの名も無い『個』がいたってことは事実なんだよな。部外者のぼくたちから見ればかれらの存在なんてどうでもいいことは事実だけど、彼らの中にも『想い』ってものがあったんだと思うんだ。
散歩の途中

勢力争い

地球の歴史なんて考えるとジェットコースターみたいな環境の変化の中で進化の過程が繰り返されてきたみたいに見えるけど、実際のところはおそろしく長い時間をかけて変化っていうのは起こっていたんだよね。生き物ってのはしぶとい、少々の環境の変化には(『個』は別として)慣れていく。そしてその間に進化(変化)が起きていくんだね。
散歩の途中

昆虫類・両生類

節足動物やら昆虫類、両生類なんてなんとなく出てくるけどじっさいのところ進化の過程ではあまり大したはなしじゃないのかもしれない。この地球じゃ今のところ哺乳類、特にその中の人類っていうのが覇権を握っているみたいだけどこれだって偶然の産物かもしれないしね。ましてやこの先いつまでも人類の天下が続いていくもんでもないだろうしね。
散歩の途中

地上生物

4億年前って言われてもピンとこない。一万年だって考えることないんだから億となると見当もつかないね。どうやら人間が実感できるのは百単位の年数らしいよ。数千年の歴史を好む人はいるけど極端なところおとぎ話感覚で楽しんでいるだけだからね。それでも4億年ほど前に地上に生物が上がってきたっていうのはすごいことなんじゃないかな。
散歩の途中

新天地 Ⅱ

ニッチ。生存圏っていうような意味じゃないのかな。生物たちはそのニッチを取り合って今に至るってところだろうね。現在、人類っていう突然変異種が出て来たせいでこのニッチのバランスは大きく崩れてしまったけど『棲み分け』『食い分け』そして『競争排除』、これってもしかすると正しい姿なのかもしれない。
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