世界ってなにでできているのだろう?

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自然科学

自然科学がおもしろいかもしれない

そう考えてみたけどなによりまるで縁がなかった学問。

自然科学ってなんだろう? ってところから

はじめなくならないってのはつらいもんだね。

自然科学とは何か? 

一応定義ってのはあるみたい。

基本的には人為的でないもの。

大は宇宙から小は素粒子まで

生物やその生息環境

もちろん『ヒト』も含む自然界のすべてを考察する学問。

人間の創り出した文化や社会は

人文科学・社会科学が扱う。

ってことらしい。

もっともらしい気もするけど

やはり疑問がでてくるよね。

そう、哲学でさんざんやってきた

人間の外の世界ってのはなんだ? ってやつ。

もちろん文化や社会制度、政治なんてものは

自然科学の範疇に入らないのは当然だけど

自然科学の定義ってものの『人為的』でないものってのも

人間が観測した瞬間から『人為的』になっちゃうんじゃないのかな?

ってね。

そんなことを考えだすとどうにも話が進まなくなる

だから自然科学を考えるうえで

ひとまず人がいなくても存在するものってところで

考えてることにしてみたらいいのかもしれない。

人間があっての世界なのか

世界の構成物のひとつとして人間があるのか

そんなことを考えていたら話が進まないもんね。

今のところは『科学的』といわれる手法で

何らかの結論が出て来たものを見ていこうよ。

もっとも典型的文系のぼく。

数字や公式、専門用語が出てくるとお手上げ

なんとか数学や科学用語を

日本語に翻訳するみたいなもんだけどね。

(何に使うんだろうって思っていた微分・積分が

どれだけ重要かってこの歳になってはじめて実感させられたもんね)

調べてみるとびっくりする。

科学なんて叙事の最先端で

ガチガチの事実の積み重ねだと思っていたんだけど

意外と抒情的なんだよ。

デジタル

アナログとデジタルの違いって

まえに軽く触れたけど

さて、目の前に広がっている世界は

アナログの世界なんだって言い切れるのだろうか?

言い換えればつなぎ目無く繋がって

なだらかな輪郭を持つ世界なんだろうかってことだね。

物だって凸凹はしているけど

曲線(直線でもいいけど)でつながっているし

時間だって電気時計の秒針みたいに

なめらかに動いている

(昔の時計みたいにカチカチリズムを刻んでいないと思う)

とは思えるんだ。

でもね、人間の認識能力の限界ってのを考えれば

思い切り小さい粒々が並んでいたって

連続した物だって思っちゃうんじゃないかな?

鉛筆で一本の線を描く。

見た感じはつながった線に見えるけど

じっさいは黒鉛の粒々じゃなかったっけ。

時間だってそう。

なだらかにつながって

一定の動きをしているように思えるけど

じつは昔の時計みたいに断続的に進んでいないって

だれにも言えないんだよね。

チックタック チックタックって

一コマ進んでは停止

また一コマ進んでは停止ってことをしてるかもしれないんだよな。

馬鹿げた考えのような気がするけど

似たようなことを考える人は

やはりいっぱいいる(いた)みたい。

そのひとたちは

ぼくみたいにぼんやりなんとなく考えるんじゃなくって

ちゃんと研究実験して

そのあたりの疑問に答えを出していってくれているんだよ。

科学を目指すひとたちは本当にすごいよね。

結果を知っているぼくたちからすれば

当たり前のことを

一生をかけて解明していってくれたんだから。


だから自然科学ってのはおもしろくて奥が深いんだよね。

自然科学と人文・社会科学

万物、神羅万象、ほんとうのところはまだわからないっていうのが

今のところの結論じゃないかな。

自然科学にはどうしても『今のところ』っていう

鍵カッコの付いた結論がメインになってしまうみたい。

その結論が間違っているという事例がみつかるまでの真実

そんな感じかな。

自然科学の素晴らしいと思うのは

事実を集めて導き出された一般命題を

常に再考し続けているところ。

人文科学・社会科学なら集めた事実から

一般命題を導き出してそこで終わっちゃうような気がするんだ。

極端な言い方で

人文科学・社会科学を専攻している方々から

お叱りを受けるかもしれないけど

人文科学・社会科学は過去から学ぶだけの学問って気がする。

ものごとが終わってから解説するみたいな

どこかのコメンテイターじゃないけど

一歩離れたところからの視線。

それに比べて自然科学は過去・現在・未来を

同じような比率で見ているような気がするんだけどな。

もっともこれはどちらにも専門性を持たない

ぼくの勝手な偏見だけどね。

この過去・現在・未来を同時に見るってのは

試行錯誤を繰り返すってことになってしまう。

特に未来なんて何が起こるかわからないから

困ったもんだ。

実験や観察技術の進歩も当然あるし

新しい体系のメタ理論の登場もあるもんね。

自然科学はどんどん変遷していくものらしい。

だけど……

どこへ向かって進んでいるんだろう

物ってなんだろうね

はなしを戻して

自然科学の内の特に物理学を考えてみよう。

なんといっても『物』を考えるなら物理学って

単純発想だけど。

『物』ってなんだろう? って疑問は

それこそ紀元前から問われ続けている。

有名なところでは古代ギリシャがでてくるね。

西洋哲学発祥で有名だけど

哲学ってのは今みたいに細分化されてたわけじゃない。

どちらかというと世界の仕組みを解き明かしたいという

欲望をまとめ上げた思想体系だったわけだから当然かもしれない。

世の中の不思議をすべて神様の仕業に押し付けていたのを

「ちょっと、待った」って言いだしたのが

古代ギリシャ時代の哲学者たちだったんだ。

ターレス・エンペドクレス・デモクリトス

そしてアリストテレスってそうそうたるメンバーが

紀元前にいたってのはすごいよね。

力学ならもう少し後(それでも紀元前だけど)に

アルキメデスって有名な人も出てくる。

そして現代の物理学(天文学なんかも含めて)の

大筋を決定していくのが

1500年から1600年の

コペルニクス・ガリレイ・ケプラーあたりかな。

なにより一番多大な影響を与えてくれたのが

ニュートンってことであまり異論は出ないと思う。

かれらは天才だったと同時に革命家だったのかもしれないね。

それまでの常識っていうのか一般命題ってのを

覆していったんだから。

そして現代にも天才・革命家たちは

群雄割拠している。

だれでも知っている人で言えば

アインシュタインあたりがすぐに出てくるけど

それ以外にも多くの人々が

過去の一般命題(常識でもいいよ)を

書き換えているんだよね。

ニュートンの力学を『古典力学』と呼ばせるほどに。

これまでの理論を超えるものって意味で

メタ(meta)ってことばが使われる。

物理学は英語でフィジック(physics)。

現代の物理学、少なくとも力学は

メタフィジック(metaphysics)と呼ばれてもいいんじゃないかな。

meta physicsってカッコいいと思わない?

でもね、これって日本語で言うと形而上学

そう哲学のことなんだ。

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