人類の英知ってそれほど馬鹿にしたもんじゃないよ

メメント・モリ散歩の途中
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     では、ぼくはどうするの?

土台をこの変な書き込みに置くとすれば

じぶんのことを無意味な存在、ただの水くみバケツってところから

始めることになるんだよな。

なんとなくしっくりこないけど

ひとまずそういうことにしておこう。

もともと人類が無意味ってことは

なんとなく思っていたからショックじゃないけどさ。

問題は『ぼく』にいかにして意味を持たせるかなんだよね。

必要のないことまで知ろうとする

明日までを見ようとする。

それが余分な意のせいと生活の余裕のせいだとすると

うなずけるかもしれない。

今やっている仕事を立ち上げたころには

そんなことを考える余裕なんてなかったもの。

答えがないことを知っているくせに

回答が出ないことにイラつくって

これも否定できない。

駄々っ子の反抗みたいなもんだよね。

ほんとうに僕たちが

「知覚できないものを認識する能力」ってのを持っているとして

そんな存在が具体的な像を結べないものがあるってことは

前提条件に回答がないか、認識能力を超えているかってことなんだよな。

もっともぼくの能力不足ってのもあるけど。

でも、疑問は結局元に戻ってしまうのはしかたがない。

個人としての「ぼく」ってどんな意味があるの? って。

人類やセカンドなんてどうでもいいんだ。

ぼくはどうしたらいいの?

ってことさえみつかればいいんだよね。

ただむだに知識を増やしてあれこれ考えるだけしかないのかな?

それで幸せな人生だったって

静かにくたばっていく。

たしかにそれも一つの手だけど

心の底から納得できるような結論じゃないよ。

     前提は立てた

架空の土台じゃあるけど

ひとつの土台はできたわけだ。

『時』・『色』・『意』の三要素でぼくのいる世界は

構成されている。

で、どうやらこのわけもわからずに

悩んでいるぼくってのは不必要に詰め込まれ過ぎた

『意』ってものだろう。

だとすると静かにくたばっていく以外の可能性が

あるかもしれないんだよね。

「知覚できないものを認識する能力」ってものを

ぼくが持っていると仮定して

ぼくは『意』の一部だと仮定して

全体で一つの意の中から切り取られた分離した意だと仮定して

意が認識したものが『時』・『色』に影響すると仮定して・・・

仮定ばっかり並んでいくけど

それがクリアーされればおもしろいことになりそうなんだけどな。

書き込みに書かれていることはまだまだある。

もしも仮定がクリアーされてもより以上の問題が

待ち受けていることにも触れられているんだけど

ひとまずは仮定の真偽を考えないと

はなしにならないとおもわない?

だから土台・前提としてのはなしは

いったんここまでにしておこう。

     人間の英知を舐めないように

―――想いそのものには意味がある。

それこそが観測データ

ただし、そのデータを読み取るのは我々以外のなにものか。

われわれがそのデータを読んだところで意味がつかめるわけがない。

ひとが書き込んだ数字を見て犬や猫が理解するとは思えないーーー

これも書き込みに書かれている。

そして、そのとおりだっていう以外ないんだよ。

宇宙全体を構成する存在からみれば

ぼくなんて吹けば飛ぶどころか

存在さえ気づかれないんだろうからさ。

でも、ぼくの好きなアインシュタインさんも言っている

―――人間というのは、宇宙の構造を把握することはできない。

それは小さな子どもが、巨大な図書館に入ったようなもの。

壁には、床から天井まで、異なった言語で書かれた本でおおわれている。

子どもは、だれかがこれらの本を書いたことはわかる。

しかしだれが、どうやって書いたかまでは、わからない。

それらが書かれた言語も理解できない。

しかし子どもは、本の並び方の中に、一定の秩序があることに気がつく。

つまり、神秘的な秩序だ。

はっきりとわかるわけではないが、おぼろげながら、疑うことはできるーーー

ってね。

だから、人間が英知を集めて解読していった

知識ってやつを集めてみようじゃないか。

専門家じゃないぼくがそこからあらたなものを

みつけられるとは思わないけど

じぶんなりの解釈をみつけられれば・・・

だめでも暇つぶしにはなるじゃない。

どうせほっておいても、すべてが無駄に終わっても

もともと無意味な存在が無意味に生まれて無意味に死んでいくのが

『人』ってものじゃない。

ただの水くみバケツなんだからいいって開き直ろうよ。

運命に逆らってやろうなんてカッコいいもんじゃないけどね。

知らないより知ってたほうがましって感じはするじゃない。

意味がないことをわかりながら続けていくってのも

ちょっとした美学じゃないかな。

     ベーシックインカム

まずは『意』ってものがどうとらえられているのか

そこんとこからはじめてみよう。

だから哲学ってのは単純かな?

哲学ったって、心理学から経済学ようするに人の心に関連したものってことだけどね。

もっとも専門に勉強したわけじゃないんだよな。

素人が勝手に御託を並べていくって

真剣に取り組んでいる人にはあらかじめいっておかなくっちゃ。

ごめんなさい! って。

哲学のスタートはやはりギリシャ

古代のギリシャってのは(現代も含めて)

行ったことがないけど

なぜか、スタートアップにはかならず名前が出てくる。

ぼくのかってな想像だけど

古代ギリシャの人々は暇だったんだ

暇ってのはいまのぼくたちには悪徳にみられるけど

本来はさいこうの美徳だと思うよ。

生活においまくられて時間のほとんどを

金を稼ぐことだけに費やすなんてダサくない?

あり余った時間をどう使おうが自由。

じぶんがしたいことにまい進するのも、勉強するのも

より以上の金を稼ぐのも、いちにち寝てるのも

どうとでも使えるんだからね。

一部の地域で試験的に導入されている

ベーシックインカムは

うまく運営できればすてきな世界が誕生しそうな気がするんだけどな。

古代ギリシャの人々が暇だったってのは

生産のベースを奴隷に頼っていたからじゃない?

奴隷にされる方には文化も生じにくいだろうけど

奴隷を使う方には余剰の金と時間が華麗な文化を生み出す

って可能性があるような気がするんだよね。

もしかすると現代はチャンスが巡ってきているのかもしれない。

奴隷ってのは今じゃ器械が変わって担ってくれる

オートメーションシステムとAIとベーシックインカムの組み合わせ。

欲の形が変わるだろうな。

暇な人間は同じ価値観のなかでは生きないもんね

勉強や研究、芸術や思索に従事する人々。

そしてそれにつくパトロンを目指す人々。

今の時代、素晴らしい世界の扉が

目の前に待っているのかもしれないよ。

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