弱肉強食の世界

メメント・モリ散歩の途中
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生存競争

――生き延びるためのありとあらゆる選択。

この時点でほぼその星のこれから生み出す生物

ほとんどの雛形が登場するといってもおかしくはない――

たしかにその星に適応できる生物

その中で生きていくための競争に

参加できる資格を持つものの可能性は

初期のころに決定されていくのだろう。

――試行錯誤が繰り返された。

外界から己の生命を内に閉じ込めるためには

水中が有利なことは当然だろう

自然の水棺で外部を保護できるのだから。

まずは水生生物が多様化してくる――

地球だってまずは水中からはじまったといって

問題は無い。

母なる大海とはけっして誇張じゃないはずだ。

――外郭に重点を置かないとするならば

ひたすら口を大きく強くするものが出てくる。

そうしたものたちはひたすら食べつくそうとする。

食べられるほうはたまったものではない。

食べられないように外郭を硬くすれば己の行動が制約される

また堅くすればするほどそれを食い破る口を持った者が現れる。

でなければ食べられても食べられても減らないほど種族の数を増やすしかない。

だがそれも当然限界がある――

やはり古代史なのか?

ただ、無意味にそんなはなしをしているわけではないと思いたい。

楽観的観測にしかすぎないがなにかの伏線なのかも。

もっとも全然意味なくただ羅列しているだけ

ということもありうるから

始末に悪いのだが。

――行動領域の狭いものに一番のシワ寄せがくるのはわかるだろう。

特に植物たちは絶滅の危機に見舞われた。

本来植物というものは高度生命体の中では一番安定した存在。

自己完結型の生命形態とでもいったらいいかもしれないぐらい

他の生命を略奪して生存しようという発想が少ない生命形態なんだ。

確かに侵略はあるが闘争はほとんどない。

そう彼らが選ぶ方向に闘いは少ない

あるのは耐えるか滅びるかだ――

植物に闘争は少ないという言葉に

もろ手を挙げて賛同できるかどうかは

悩むところだ。

もっとも闘争ではなく侵略だというのならば

納得できるところはある。

わたし流にいうならば

「植物にあるのは侵略か滅びか」

のような気がする。

――どんな生物でも

個体は別にして

種として滅びを選択するものはまずいない。

Fight or flight

戦かわないのなら逃げるしかない。

水中から地上へ

一部植物の移動が起こった――

逃げるは恥だが……

「逃げるは恥だが役に立つ」

ってドラマがあったみたいだけど

(知らないのでここで内容からは逃げておきます)

このフレーズ

もともとハンガリーのことわざみたいだね。

「自分の戦う場所を選べ」ってなかなか深い言葉じゃない。

けっこうこういった名言っていうのは

あるような気がする。

山頂を前にして引き返した登山家が

「引き返すほうが勇気が必要だ」

なんてのもあるし

戦場を前にした指揮官が

退却を指示するときなんかにも

使われていたような気がする。

生物の進化でも同じことが

起きたってことだね。

ぼくたちは陸上生物。

だれだってじぶんたちのいる環境で

ものごとを判断してしまうから

陸上に植物たちが出て来たのを

いよいよ新時代の始まりだって

思ってしまうかもしれないけど

じっさいのところはどうだったのかは

疑問だよ。

ある意味敗残兵の集まり。

戦い敗れてボロボロで逃げ出してきたわけ。

『新天地』なんてカッコいいけど

新天地が『楽園』なんてわけはない。

だって本当の意味で『楽園』なら

もっと前にもっと力の強い生き物が

占領しているはずなんだからね。

逃げて逃げて逃げまわる

陸上に上がった植物たちが

どうなっていくのかは

現在のところの状況までは

わかっていると思う。

もっとも『植物』って一括りにするのも

どうかとは思うけどね。

個々の種がどうなっていったのかは

別の問題だもの。

初めに地上に上陸してきた種の中で

いまでも存続している種族がいるのかどうか

調べたことが無いからわからないし

もし存続している種があったとしても

これからも永続的に存続していくかどうか

だれにもわからない。

多分だけど

個体として上陸してから現在まで

生き残っているものはいないと思うけどね。

けっきょくおこなわれたものごとが

『吉』だったのか『凶』だったのかの審判は

歴史に任せるしかないわけだ。

そしてその歴史ってやつもどの時点で

見るかによって

捉え方が変わってくるし

なんといっても『今、現在』ってものは

いつだってすぐに『過去の出来事』でしかないんだから

困ったもんだ。

そして何より困ったことが

なにかを成そうがなにも成さなかろうが

生きようが死のうが

なにかの足跡を残そうが

戦って勝利しようが敗北しようが

ボロボロになって逃げざる負えなかろうが

はるか未来には

なんの関係もないってことなんだろうね。

だとすれば世の中

逃げて逃げて逃げまくることが

いちばんの正解かもしれないよ。

庄司薫さんが書いていた

『逃げて逃げて逃げまくる方法』ってのを

なんとなく納得できるようなすっきりしないような内容だけど

すこし書いておくね。

「誰かがもしなんかの問題ぶつかったら

とにかくまずそれから逃げてみること

特にそれが重大な問題だと思われれば思われるほど

秘術をつくして逃げまくってみること。

そしてもし逃げきれればどうでもよかった問題なのであり

それは逃げまくる力と比例して増えてくるはずで

つまりどんな問題につかまってジタバタするかで

そいつの力は決まってくる。

だから逃げて逃げて逃げまくれ。

そうしてそれでもどうしても逃げきれない問題があったら

それこそ貴兄の問題で……」

もっともそのあとで

「そうだ、でもそうしたらどうするのだろう?」

って一文があるんだけど……

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