散歩の途中

散歩の途中

人類の英知ってそれほど馬鹿にしたもんじゃないよ(再稿)

散歩の途中の書き込みは人間の無力さが前面に押し出されているみたい。ただ散りばめられている『仮定』を拾い集めてみるとほんの少しだけど希望が出てくるんだよね。「知覚できないものを認識する能力」とか「切り離された意」とか「認識が『時』・『色』に及ぼす影響」だとか。『仮定』がわかれば面白いことになりそうな気がするんだけどな。
散歩の途中

生命(再稿)

時は均一に色は少し歪に収斂 そして意はより歪な分布をとってしまう。そのアンバランスさを解消するために『生命』というものは発生。その生命の中でも極端に意をその内に内包し過ぎたものはセカンドと呼ばれる歪な生命形態を持つことになる。人類はそういったセカンドと呼ばれる生命形態の一種。ただセカンドには常に危険が付きまとってしまう。
散歩の途中

時・色・意(再稿)

ぼくが土台としている『散歩の途中』。陰謀論より無茶苦茶だけどおもしろいんだ(ぼくにとってはね)。ぼくたちでも知っている天文学・物理学の簡単な情報とそこから広がる偏った推論。詐欺の手口みたいだけど騙されたところ問題ないしね。おもしろがるには丁度いい。宇宙(世界)は時・色・意で構成されている ってちょっと魅力的じゃないかな。
散歩の途中

さあ はじめよう(再稿)

研究者というのはすごい人々。一つのことに集中して考察を深めていく。しかも論理的に正しくないといけない。でも 個人で楽しむだけなら正確さはいらないよね。それこそ陰謀論でも自分で楽しむだけならそれで充分。だからぼくの書くことは荒唐無稽のおとぎ話みたいなものかもしれないんだ。(そこまでおもしろさは無いけどね)
散歩の途中

散歩の途中

世界だとか 存在だとか 生だの死だのって考えたってわかるわけがないよ。根本的な前提条件というものが欠如しているんだから。論理は土台が無い限り組みようがないし 人間は因果関係が無いものは考えられないらしいんだ。だからここは強引にでも土台を作らないとね。ぼくの土台は『散歩の途中』という荒唐無稽な書き込みなんだ。
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました