セカンドと宇宙

散歩の途中
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宇宙の謎

――宇宙

考えてみればおかしなことばかりだ

一つ一つ見れば不思議がいっぱい 

そこから発信されている謎を解き明かしたくなる

だが 考えてみろ

一つ一つのパーツの不思議を解き明かしたところで

パーツはパーツだ

セカンドは

その進化が進めば進むほど

パーツの謎を解いていく

得意の物理力を使ってな

ただ謎 を解き明かせば解き明かすほど

次の疑問がでてくるはずだ

なぜか? 

全体像をつかむことが不可能だからだ

不可能という言葉は好きじゃないし

あてずっぽうに撃った弾がどっかにあたるかもしれない

だが撃ったほうにあたったかどうか確認のしようがない――

その通りだということは認めるしかない

精密機械をばらした部品が

無秩序に散りばめられた浜辺にいるようなものだろう

専門家と言われる人間には

それらの部品の意味するところが

理解できるのかもしれないが 

すくなくともわたしには見当もつかないだろう

――パーツひとつひとつの持つ意味は

解明することができるかもしれない

実際にされているものもある

だが パーツの数が多過ぎる

そしてパーツはパーツ

組み上がったときに

どういったものになるのかわからなければ意味がない

そう 次元が違うのさ

一次元のものを認識できるのは二次元の存在

二次元を認識できるのは三次元

三次元を認識できるのは…… 

色・時・意の要素の意味さえ完全に掴んでいないおれたちに

推論はできたとしても

実証なんてできるわけがない――

絶望しかないのだろうか

この先 きっと人類は

より多くのパーツの謎を解き明かしていくだろう

私の時代でどうにかなるようなものではないが

もし人類が存続し続ければ

少しは宇宙の謎に近づけるかもしれない

もっとも それがいつなのか 

そして 本当に可能なのかどうかは

まるで見当もつかないが

そしてエオの言うように

部品のことが分かったからと言って

全体像がつかめる日が来るのだろうか

人類が なんていうのはどうでもいい

部品のことをなにひとつ理解さえしていないわたしが

想像だけで完成された全体像に近づくことは

不可能なんだろうか

――考えるだけむだだろう

次元の低い存在がより高次元の存在意義をつかめるわけがない――

わたしと宇宙

セカンドがただの水汲みバケツ理論は

ある程度納得しちゃうんだ

人類なんてものが

そんなに大したものじゃないってことは

なんとなく考えていたんだから

だけど 問題なのは

人類じゃなくて『ぼく』なんだよ

どうにも ぼくが大したものじゃないっていうのは

気に食わないんだよね

もちろん

ぼくが特別なもので

この宇宙やより高次の存在と対峙できるとしても

そうなりたいかどうかは別の問題だけど

『散歩』のわたしも言っていたけど

できるけどやらないと

できないからやらないとでは

意味が違うもんね

もう少し

『散歩』メモから抜粋していこう

――根本にある疑問は誰もが同じようなもんさ

『個』というものはどこから来てどこへ行くのか? 

おれは知らない

個というものがどういったものなのか

どうしてその入れ物の中にその特定の意が詰め込まれたのか

そんなことわかるわけがない――

わたし以外の者の中にも

人類ではなく個人として宇宙や世界

それにエオがわからないという高次の存在に

対峙しようと考える人間がいる

もしくはいたというのは

なぜかうれしいような気がする

考えてみれば当然のことかもしれない

平凡(だと思う)なわたしの考えることなんか

先駆者がとっくに通り過ぎている道だろう

エオは 『個』というものには

関心が無いのかもしれない

だが 詰め込まれ過ぎた『意』のために

歪な存在となったセカンドの中でも

より歪な存在になってしまった 『個』には

どのような救いも待ってはいないってことだろうか

……どうしようもないということですか

ただ無駄なものが無駄にあがいている

そういうことなんでしょうか?……

――無駄かどうかはしらんよ

意味はあるのかもしれない

だがその意味が

おれたちには見えないってことだけさ

時を長くかける

知見を限りなく広げる

それだけではどうしようもないことがあるのさ――

ぼくと宇宙

『散歩』に出てくる

『わたし』とぼくとでは

考えていることが近いように思えるんだ

人類がどうのこうのというよりも

自分という『個』が大事ってところなんかは

大いに共感できるところだもの

そして 誰かに操られたり

命令されることが大嫌い

ってところも共通してるよね

人間 人類 セカンド 

なんでもいいけど

他の人なんかどうでもいいんだ

自分に何が出来て

自分に何が知り得て 

その上で 

自分に何が選択できるのか

それだけが知りたいだけなんだよ

「配られたカードで勝負するしかないのさ…… 

それがどういう意味であれ」

って スヌーピーさんも言っているじゃない

手持ちのカードで勝負するのは当たり前

だったら 少なくとも

持っているカードを知らなきゃ

勝負さえできないもんね

ただ 

そのカードはぼくたちの目からは隠されている

というより

隠すように仕組まれているってことみたい

あくまでも『散歩』に

書かれていることを信じるとすれば

進化というおそろしく長い間をかけた

刷り込みがカードを隠しちゃうんだろうね

ぼくが懸命に探そうとした

生物学での本能

たぶん この部分が

刷り込みなんだと思うんだ

だから 遺伝の刷り込みや

学習の刷り込みを排除さえできれば

進化の刷り込みってものから

解放されそうな気がするんだけど

これが恐ろしいほど難しい

ぼくの中では

自分で考え付いたことだと思っているものだって

結局はどこからかの

刷り込みなのかもしれないんだもの

このあたりのところは

もう少し突き詰めていかないと

いけないんだろうね

ただ その刷り込みから解放された状態 

『散歩』だとファーストと言われる存在に

昇華できたとしても

その先にはまだまだ未知の世界が

広がっている

だから 結局

ぼくが考えるように

知識を追求していくことには

意味が無いってことなのかもしれないんだ

エオの言葉にはファーストを否定する傾向があるんだよね

ただ 少し気になることはあるんだ

『散歩』の中で

ファーストについて書かれている部分は

少ないって前に書いたよね

そしてその大部分が

否定的存在として書かれている

でもね

あくまでもぼくの偏った見方なんだけど 

エオはファーストに何かの可能性を

認めているんじゃないかって思えちゃうんだよ

本音と建て前ってあるじゃない

ファースト否定は

建前みたいに思えるんだよな

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