死ぬってこわくない?

メメント・モリ自問自答
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     死ぬのがこわい

死ぬのが怖い(恐い?)

って、いつごろ思い始めたんだろうね。

子どもの頃にはばくぜんとした不安があったような気がする。

思春期のころには実際に自殺に挑戦しようとして失敗しているし

(最後の一歩ってなかなか踏み出せないもんだよ)。

おとなになってからは実生活のなかでふとおぼえる理由のない不安。

もうすこしすると見えてしまう未来への不安。

こわいの意味はときどきで変わっていくんだけね。

だいいち、怖いのか恐いのかそれさえがわからないんだから困ったもんだ。

正体の見えないものへの不安は間違いなくあるよ

だから、若い時の恐怖はこれじゃないかな。

現実に積み上げたもの、手に入れたものに意味が無くなる

これがおとなになってからの不安かもね。

「どうせ死ぬんだから」と「死ぬまでになにかを成したい」という葛藤。

ぼくはナルシストなのかもしれない。

他の人の目にどう映っているのかはしらないけど

けっこう自身が気に入っているんだ。

そのじぶんというものがなくなるんじゃないかという不安。

だからあれこれ死から逃れる術を考えていたんだと思うよ。

ところがどうやらこいつは難問らしい。

人類の歴史上多くのひとたちが挑戦しているらしいけど

未だ成功例には出会ったことがないみたいだもんね。

もっと困ったことにどうやら不老不死(あくまでも想像で描かれたものだけど)って

あまり幸せな状態ではないように言われてるんだよ。

あれこれ思いを巡らせている間にいつのまにか時はながれ

じいさん予備軍にたどりついちゃった。

ここまでくると死への恐怖は別の意味を持ってくる。

死後(あるのかどうか見当もつかないけど)はなるようになる

そんな開き直りの域にはなんとなく達してしまっている。

それより生きている状態から死の状態への移行の時

その時に感じるんじゃないかって『痛み』が怖くなってきた。

もっと歳を経て正規の老人の仲間入りができれば

また感覚は変わるのかもしれないけど・・・

     最高の自殺の方法

  

死ぬときにあじわう痛み

こいつだけはどうしようもなさそうだ。

「ピンピンころり」ってやつが理想とされるけど

そう、うまくいくわけはないもんな。

最高の自殺のしかたを研究したことがある。

首をくくるのは苦しそうだし

高い所から飛び降りるなんてのもとんでもない

(なんといっても高所恐怖症なんだ)

練炭+睡眠薬はそこそこいけそうだけど

準備しているときに不安になりそうだね。

いろいろと考えた結果

いちばん良さそうなのがじつは凍死という結論に達した。

条件1

とにかく極寒の場所を探す

冬山でもいいし寒冷地でもいい

死ぬほど寒くないと意味がない

条件2

場所が選定できればそこで眠り込むこと

睡眠薬を使ってもいいし、べろべろに酔っぱらっても可

条件3

寒さで意欲をなくすのはもってのほか

死ぬまではできるかぎり快適な状態を保つこと

ただ山の中に分け入るには体力がいる

寒さの中で死を待つのは少々つらい

そこで結論

真冬に北海道の山奥のリゾートホテルに泊まる。

どうせ死ぬのだから贅沢な部屋と食事

高級ワインなどをたらふく飲む

できれば睡眠薬も同時に服用。

からだがほどよくほてったところで

ホテルの外へ散歩に

疲れない程度で、できるだけ人目のつきにくそうなところで休憩

(だれかに見つかって助けられたらホテル代に飲食代の請求がくるからね)。

後はしずかに眠ってあの世行き。

じつはこれ、自殺の方法というより

ぼくと同じ自営業者と考えた借金の踏み倒し方。

運よく(悪く?)どうしようもなくなったらこの手がある

だから安心して商売しようよって

慰めあったんだけど

これってうまく使えば死のまぎわの痛みや苦しみから

逃れられる可能性が大きいっておもわない?

それでも問題がないわけじゃない。

「さあ、これから死ぬぞ!」

そう決めてから過ごす時間は怖くないだろうかってね。

たしかに老人に近づけば近づくほど

死という状況の見えないものに対する不安は薄れてきている

ような気はするんだ。

痛みや苦しみに対する不安は残っているけどね。

でもね。

いくら薄れてもこわいものはこわいんだよな。

     でも、どうして怖いんだろうね?

状況の見えないものがなぜこわいのか?

考えてみればおかしなはなしだと思わない?

日常だって一寸先は闇、のはずだよね。

それでもなんとなく先が見えるようにおもえて

そしてほとんどの場合がそのとおりになる。

平和ボケかもしれないけど世の中そんなものじゃないかな。

「人間は必ず死ぬ」と信じている人間が

「あしたは必ず来る」と信じているんだから

困ったもんだ。

もっとも、人によっちゃ知らない経験をすることに

喜びを感じる人だっているんだから

状況が見えないってことじたいが不安の要素じゃないのかもしれないな。

では、なにが人を不安がらせるのか?

ひとつは痛いと苦しいに出会うんじゃないか、だよね。

でもそれ以上にじぶんという存在が無くなってしまうってことへの不安

それじゃないだろうか。

じぶんのことが大嫌いって人もけっこういるだろうけど

ほとんどの人がそんなじぶんにでも折り合いを付けながら

じつのところなんとなくじぶんがいとおしいって思っているのかもしれない。

そんなじぶんが消えてしまう。

他人、それが身内でも愛する人でも、が死んだときに悲しむのは

愛用しているものがなくなったら悲しいのと

似たような感覚になるからだそうだ。

自分自身ってものはなによりも長く愛用しているんだから当然だよね。

だからむりやり死後の世界をつくりだす。



でも考えてみて

人間のかたちに似た神様やその使い魔がうろつきまわり

なぜか天気の良い草原みたいなところで

死人たちがあそんでいる。

想像したらこわくないかい?

過去何千年何万年ものあいだに死んだ亡者が

うじゃうじゃと楽しそうにたむろしてるなんて

B級ホラー映画以上。

なによりも人口密度がふえすぎて

ラッシュアワーよりすごいことになっているかもしれないよ。

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