世捨て人

メメント・モリ自問自答
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     対人関係って辛くない?

社会で生きていくってどうしてつらいんだろうね。

組織と個の関係、組織があるから個人がつらい思いを味わう

ってことは考えられないかな。

他人と関わるってことがすべての元凶だって言ってもいいんじゃないだろうか。

今風に言えばストレスの元ってこと。

それでも哀しいことにひとはひとりで生きられないらしい。

現状の生活を維持するには、やはり組織や他者がなければ物理的に不可能なんだよな。

わかりきったことだけどね

社会的生物として存在したからこそ

こうして地球の覇権をにぎっているんだから。

でも、人類にとっては正当なこと

だけどぼくにとっては苦痛だ、となればどうしたらいいんだろうか。

最小限の他者とのつながりだけ保って

かつかつ生きていくってのもありかもしれない。

望んでいるのはじぶんがじぶんで在り続けて

なおかつ他者から強制されないじぶん

となれば、他者とのつながりを断てば望みはかなえられる

かも、しれないんだよな。

ただ、その状況に耐えられるかどうかは別問題。

他人と接点を持つのが苦手な人ってのはけっこういるけど

だからといって孤独に強いってわけじゃないもんね。

他人と付き合うのが苦手といっても

『他人』にもいろいろ種類があるだよ。

じぶんと同レベルの人なら付き合いたいって人は

けっこう多い。

同レベルより少し下のあいてを望むのが90

じぶんよりすこし上がいいってひとが2%ってところだろうね。

のこりの8%は適当にかんがえてくれたらいい。

趣味や考え方が近いか

じぶんがマウントをとれるか

じぶんを預けられるかってところじゃないの。

ぼくは孤独に強いとおもっているし

じっさいだれかといるときのストレスは

はんぱない。

それでも完全に他者から切り離されたせかいで

どこまで耐えられるかは自信が無いんだよな。

一日二日だれともしゃべらない、会わないなんてのは日常茶飯事

どちらかといえばごほうび。

だけどそれが何か月、何年となって・・・

さて、どうなるんだろう。

     では、どうすればいいんだろう?

社会の構成員として個人の意志を踏みにじられることに比べたら

少々の孤独には耐えられそうな気もするけど

それだけはやってみないことにはわからないよね。

でも・・・

そうやって他人とのつながりを切っていって・・・

ぼくに何が残るんだろう・・・?

他人と比較して人生を送っていくのって

ばかばかしいとは思えるけど

なにかと比べていかないと

じぶんがどこにいるのかわからなくなってしまいそう。

死ぬのはこわいけど

生きていくってのもなにか目的がないと

退屈してしまいそうでこわいもんじゃないかな。

たしかに若い時みたいに

夢がなけりゃ生きている意味なんてない

なんてことは思わなくなったよ。

若い時には

「おまえはなにをしているんだ?」

って聞かれたり、自問自答したときに

答えを一生懸命探したもんだけど

いまなら簡単に答えられる。

「おまえはなにをしているんだ?」

「生きてるのさ」

ってね。

死ぬまでは生きている

そいつは受け入れなくっちゃ仕方がない。

じゃあ、何がしたいんだろう?

死ぬのもいやだし、生きていくのもおもしろくない。

だからといって他人と面白おかしく暮らしていくなんて

とてもじゃないけどごめんこうむりたいしね。

リンカーンさんじゃないけど

「ぼくの、ぼくによる、ぼくのための生き方」

そいつはどこにあるんだろう。

     何しようぞ  くすんで  一期は夢よ  ただ狂え

好きなことばだね。

室町時代の『閑吟集』ってのに出てくるんだけど

人生まじめに生きてどうするの、所詮まぼろしみたいなもんじゃない

楽しく可笑しく生きていこうよ。

って感じかな。

もともと恋愛の歌を集めたものらしいから

男女なんてそんなに悩むもんじゃないよ

すきなようにしたらいいじゃない。

くらいの意味なんだろうけどね。

「くすんで」ってのはまじめとか、さとるとか

「一期」は一生とか生涯

「夢」ははかないもののことかな 

あとの時代だと

「この世は夢よ、いざ狂え」って

ぼくにはこっちのほうがなじみがあるなぁ。

とうとつにこんな歌を書いたけど

これってひとつのヒントじゃないかな。

生きていることがまぼろしだって思えば

もっと好き勝手できそう。

でも好き勝手っていってもばかさわぎをするんじゃないよ

そんなものすぐにあきることがわかりきっているんだもの。

では、たのしい好き勝手ってなんだろう?

そうかんじんなことを忘れていたかもしれない。

ぼくは、ぼくが好きなんだ。

だとすれば、ぼくって何? ってことを見つければいいんじゃない。

ぼくって何ってことは

ぼくの本体、ぼくのいる場所、なにをしているのか

それを見つけ出すのが大事なんじゃないのかな。

おまえは誰だ

どこから来た

どこにいる

どこへ行く

って、ベスターさんの『虎よ、虎よ!』に出てくる言葉だけど

ほんとうにそこのところから出発しなくっちゃ

はなしにならないみたいだね。

好き勝手するために

なにが好き勝手なのか探さなきゃいけないって

笑い話みたいだけど

どうやらぼくにはそれしかないみたい。

もっともそんなことしかできない凡才だから

死ぬの生きるのなんてくだらないことで

ぐだぐだ考えているんだけど。

どうせ人生なんて夢まぼろし

死ぬまでの時間つぶしにはちょうどいいかもしれないよ。

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