勢力争い

メメント・モリ散歩の途中
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Fight or flight

――二つの種が陸上の二大勢力として

その覇権をきそいあっていく。

その頃寒冷化に向かっていた気候が

徐々に温暖化に向かいだしていく。――

氷河期云々なんかではなく

地球上では温室時代と氷期が

繰り返されるのはわかっている。

人類史は基本的には氷期の真っただ中だが

その中にも氷期と間氷期の

寒暖が影響を与えた事象は

多々あるぐらいだ。

――寒冷化は生物たちの攻防における進化をもたらした。

狭いニッチの中での生存競争が

外敵に対しての攻撃であれ防御であれ逃走であれ

その能力を研ぎ澄ませていった。

それにつけくわえるならばよりその能力を

有効に使うための知性の増大も。

矛をより有利に使うため

盾をより効率よく使うため。

限られた生活圏のなかで生き延びるための

数々のアイデアがそこに持ち込まれたわけだ――

戦争は科学技術を発展させる。

嫌な話だが

けっして否定できるロジックじゃない。

――だが温暖化がもう一つの選択肢をあたえる。

戦って勝てなければ逃げればよい。

あまりにも単純な発想

だが外界の要因が緩和されなければ生まれなかった発想――

『逃げるは恥だが役に立つ』ってわけだ。

自分に見合った場所に行こうじゃないかって

今でも言われる言葉だが

じっさいのところ

逃げる(行く?)場所が無いことには

始まらない。

――索敵能力・脚力

他の生物より少しでよいから悪環境への適応。

それらを駆使して

二大暴君の隙間を生き延びていく種がでてこれたのは

そのおかげでしかない――

偶然か必然かはわからない。

歴史や過去の事例なんて

すべてがそんなもの。

生存バイアスに勝ち残ったものだけが

歴史を語れるってことだ。

地球温暖化

地上へ生物が上陸しだした時代

ちょうど氷河期が終わりかけていた時代だったんじゃないかな。

4億6000万年ぐらい前から

4億2000万年ぐらい前にかけて

アンデス-サハラ氷河時代ってのがあったみたいだから。

完全に温室時代には

いたっていないけど

間氷期あたりにいたと思うんだ。

現代と同じような感じかもね。

温暖化が良いのか悪いのかは

なんとも言い切れないところはあるけど

今巷で騒がれている

温暖化の問題とこの時代の温暖化とは

ちょっと違うんだろうね。

今は間氷期だから

すこしは温めたほうがいいのかもしれないけど

問題になっているのは

年間平均気温の上昇が早すぎるってことなんだと思うよ。

生物ってのはある程度までの環境変化には

適応できるようになっているけど

急激な変化には弱いからね。

まあ、現代の地球温暖化の問題は

種々の意見があるだろうからみんなに任せておいて

4億年ほど前の時代に戻ろう。

温暖化が地上の未開拓の部分を

ニッチに変えていく。

それだけではなかったんだろうと思うけど

それが一つの要因にはなっていたかもしれないのは

十分に考えられる。

極点の氷が溶けて

海水面は上がっていっただろうけど

それよりも極寒で生存が許されなかった地域にも

進出できたんだろうから。

もっとも

もし温暖化がなかったとしても

なんて考えても意味は無いけど

生き物たちは地球上に

広がっていったんじゃないかな。

『散歩の途中』にある

『意』や『セカンド』がどうのこうのっていうのは

このさい考えないでおいて

生き物(ぼくの知っている動物や植物)は

とにかくその生存圏を広げようとしている

そんな風に見えるんだから。

植物なんてその最たるもの

コンクリートで固められた道路の隙間からでも

いつのまにか育ってきているもんね。

生き物の種を増やそうとする本能っていうのは

すごいものがあるみたいだよ。

進化の加速

戦争が科学技術を発達させるって

よく言われるけど

ある意味正解で

ある意味不正解だと思う。

たとえば物理学だと

理論物理と実験物理っていう

2つの要素がそろって

初めて物理学が発達していくって

言われるんだと思うけど

戦争は実験物理の側面だけを

発達させていくようにしか

思えないんだよ。

これって戦争だけじゃない。

現在の経済優先社会にしても

成果が求められて

基礎理論なんかには

あまり力を入れたがらないような気がするんだ。

たしかにすべてのことは

営利目的でしかないかもしれないけど

目先の金になることだけを追いかけていると

今あるものの効率を上げることに

特化していくような気がして仕方が無いんだよね。

根本的な理論構築が

おろそかになるってのは

恐いと思うよ。

最近の研究者たちは

チームで仕事をするのが当たり前になっている。

たしかに研究が複雑になり過ぎて

個人の能力だけでは

追いつけない部分が大きいとは思うけど

研究成果を

それも短期間(数年とかでね)で

示す必要があるからじゃないのかな。

個人能力で対応できたのは

相対性理論までで

(相対性理論も今では古典物理に分類されているようなんだ)

量子力学以降は

チーム研究でしか成果が上がらないって言われているけど

そんなものなのかな?

ここまでは余談だけど

生物の進化も

こう言った研究と同じじゃないかと思うんだ。

周りの環境で進化がおきるっていうのは

その通りだと思う。

だけどあまりに過酷な環境の中では

とにかくその場を生き延びることに

すべての能力が注がれて

根本的な進化はもたらされなかったんじゃないかな。

だから広がったニッチっていうのが

生物の進化の多様性を

もたらしたのかもしれない。

でもそれってそのときに生きている個にとっては

何の関係も無い話だよね。

その時覇権を握っている種の中では

個の能力進化ってのが

死命を決するってのがあるだろうけど

対環境に対する進化となると

百や千の単位の年数じゃ

どうにもならないと思う。

数万、数十・数百万年という

無駄とも思える時が

必要とされたはず。

世代を重ねるって言うけど

親から子へ、子から孫へくらいの世代交代じゃ

何も変わらないでしょう。

キリンの首が長いのは

高いところの餌を食べるためだって

納得しちゃうところはあるけど

なんかおかしくない?

自分の孫の首が異常に長かったら

気持ち悪いと思うんだけどね。

過去を覗くと

なんとなくわかった気になっているけど

じっさいのところ

そこにいた『個』にとっては

なに一つ分からないまま

生きて、死んでいったんだろうな。

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