新天地

メメント・モリ散歩の途中
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空白の地上

――その当時星全体に生命が満ち溢れていたわけじゃなかった。

特に多細胞生物たちにとっては

同じ多細胞生物たちとの間の闘争に

いかに勝つかがすべて

捕食する相手のいないエリアには興味が持てないのは

あたりまえだろう――

生命っていうのは『生き物』の

意味なんだろう。

生命と生き物は違うように思うんだが。

――そういった意味では

地上には空き地が十分にあった。

水中からまずは植物たちが上陸する。

生命の空白地帯

外界の生存環境は劣悪だったが

他の生物から身を守ることに神経を使わなくて済む場所――

意志を持った略奪者より

環境からの圧迫の方が

植物たちには耐えやすかった

そう考えてもおかしくはない。

――大量の水溜りである海からの

蒸発する水分が雨となって降り注ぎ

湖や川という地上での水資源を造っていた。

これも上陸には一役かってくれた。

その水溜まりを中心として

細々と生息しだした植物たちが

いずれ地下水脈に沿って大森林を形成しだすのに

さして時間はかからなかったのだから――

――およそ1000万年もしないうちに

地上は植物たちの楽園と変わっていく――

時間がかからない…… か。

歴史の中での時間と

個として過ごす時間。

どれが本当の時間なんだろう?

――遅れはしたが

動物たちもそれに追従していった。

植物に比べて稼動域の広い動物たちは

それだけエネルギーの消費が激しい。

だからエネルギーの供給

簡単に言えば食えるものが

繁殖しだしてはじめて

上陸できるようになったってことだ――

先駆者の道は険しいってやつだな。

いつだって一番利益を得るのは

後追いってことなんだろう。

――水中では弱者に位置づけられたものたちが

安全な場所を求めて陸上に上がってきた

それだけの話だが

弱者強者は相対的なものでしかない。

移動可能な生態と

他者を略奪する口という能力を持った彼らは

地上での暴君と化していく――

まあ、そんなものだろう。

いじめられっ子は簡単にいじめっ子になれる。

誰を責められるもんじゃない。

――水中で絶対的支配力を持ったものは

陸上に上がってくる必然性がない。

陸上は水中を追い出された

弱者たちの王国となった。

適者生存、弱肉強食という言葉は

ある意味では真実には違いない。

だが、弱者が弱者であるがゆえに

次世代を築く王者になるというのも

逆説的な意味では真実なのだ――

弱者と強者

何度も言うけど

歴史っていうのは

どこを切り取ってみるか

それだけで大きく意味が変わってしまう。

大嫌いな言葉だけど

『勝ち組、負け組』って

ちまたで騒がれるけど

それにしたってどの時点で

ものごとを切り取るかってことで

大きく意味が変わっちゃうんだけどね。

なによりも勝ち負けの基準が

どこにあるのかなんて

その『時点』での、その『場所』ってもので

変わっちゃうもんなんだけど……

どうやら今の日本じゃ

(世界のほとんどの場所でも似てるかもしれないけど)

『資産』ってものの大小が

勝負の基準になっているみたい。

でも、『資産』ってものが

なにを指すのかって

じつはすごく難しいんじゃないかな。

お金? 土地? 地位? 名誉?

きっと『資産』ってものは

金のガチョウと同じように思えるね。

持っている『もの』が

どれだけ『もの』を生み出すのかってね。

お金は使わないと意味がないでしょ。

使ったお金が自分にどれだけの

幸福を与えてくれるかが問題なわけじゃない。

土地だってそう。

昔だったらその土地で

どれだけ作物が取れるかが問題。

今はどちらかと言えば

その土地がどれだけ『お金』を生むかで

見られているけど

そうなるとそのお金がどれだけ

自分を幸福にしてくれるのかが問題。

地位も名誉も結局は

自分をいかに幸福にしてくれるかなんだけどね。

どうも今の勝ち組・負け組の捉え方は

『幸福』基準じゃなくて

その前の『お金』基準でしかないんだよね。

もっとも『幸福』ってやつの

数値化って

むずかしいから仕方がないのかもしれないけど。

下剋上

またまた脱線しちゃった。

弱者と強者の問題だった。

「弱者は弱者ゆえに次代の強者になる」

っていうのは

歴史(人類史だけじゃないよ)上の

必然なんだ。

『散歩の途中』でも出てくるけど

進化速度の差っていうのが

弱者と強者とでは違うからなんだそう。

弱者は生き延びるために時代の変化を

必死になって模索する一方

強者はいかに現状を変えないかを模索する。

そうなれば当然のことながら

進化速度が変わるということらしい。

ただこれも時間の尺度を

どのように見るかが問題。

いまを生きている個体にとっては

その存続中に変化なんて

まず起きないのが困ったことだね。

ただ人類史の中でいうならば

経済の成長は

人口にほぼ比例する。

だからここ200年ほど

経済が成長し続けてきたのは

当然のこと。

1800年ころ世界人口は

10億人くらいとされている。

(どこまで統計数字が合っているかはわからないけど)

現在の世界人口は

77億人ってことらしい。

だから当然経済は7.7倍だよね。

日本は現在人口減少に転じている。

欧米諸国も横並びもしくは減少傾向。

それでも世界人口は増えている。

でもどうやらそれもブレーキが

かかりそうらしいんだ。

どこまで信用していいものかは知らないけど

2050年に97億人

2100年に110億人まで行った後

縮小に入るって予測が

国連のほうから出ているらしいよ。

考えてみて

1800年から2000年で7.7倍。

それが2000年から2100年で1.4倍

そしてその後は減少。

ぼくたちはほとんど

(少なくともぼくは)

その時まで生きちゃいないだろうけど

たかが2~300年で

大変動が起きてもおかしくないんだ。

じつは強者・弱者が入れ替わる時期に来ているのかも

しれないよ。

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