哲学編の中途半端な結論

自問自答
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肉体と精神

あくまで 今のところ

という 条件をつけて

哲学読み返し編の結論を

導き出してみよう

自分以外の

『人』や『生き物』を考えると

ややこしくなっちゃうから

あくまでもぼくについての結論だね

『存在』は

『ぼく』(現存在)が現状のままでは

けっしてわかりえないってことを

前提として考えて良さそう

現状のままって言うのは

実体と精神の併せ持ち状態だよ

(肉体と精神の二重構造ってことかな)

なにより 『ぼく』っていうのが

肉体なのか精神なのか 

それとも混在しているものなのか 

それって重要だと思わないかな

もし 精神ってものがぼくの本質だとすれば

精神を肉体から切り離す

方法の探究に力を入れれば

なにかの手掛かりが

あるかもしれないよね

もっとも この結論にしても

ぼくが考え付くぐらいだから

遥か太古の昔から

考えられていたことだけど

特に宗教なんかでは

顕著な考え方だね

肉体

なぜ 肉体と精神を

切り離す必要があるのか? 

以前にぼくが生物学に迷い込んだ時に

自分の考えていると思っている

(日本語はややこしいね)

つもりになっているものと

『本能』によって考えさせられている部分

その差異ってどこにあるのか?

それを なんとか見つけたいと

足掻いていた状況と同じだね

『本能』っていうものが

現代ではあまり使われていない

ってことで驚いちゃったけど

人間という種としての

ぼくの大半の思考・行動は

遺伝によって導かれている

ってことは 納得できたわけだ

それって ぼくが

自分で考えているつもりのことは

肉体によって導かれている

という可能性が高いんだよ

それだけじゃない

人間の考えとか行動は

この遺伝による形質と学習によって

得たもので構成されるってことに

なっちゃっている

もっとも50% 約半分までが

遺伝で決定されているってことが

分かっている(らしい)だけなんだけど

それでも自分の考えている(つもり)ことの

半分は遺伝の影響ってことだね

やっと残りの50%が

(これからの研究でもっと少なくなるかもしれないけど)

個人の学習によって習得できるってことに

なっているってこと

ただ 問題はこの学習という言葉

学習なんて言うと

自らが取得する物みたいに感じるけど

実際のところは時代や環境の刷り込み

でしかない って感じないかな

たしかに 

宇宙の果てや時の流れなんてものを

人間は考えているけど

それも地道な実験や観測という

過去に積み上げられていった

人間の歴史という他者の考えの上に

構築しているだけじゃないかな

ぼく個人が

まったく新たな考えで作り出したもの なんて

なかなか思いつかないんだよ

なにより 人間は記号を使わずに

思考することはできないって

パースさんの説は納得できるんだよね

と なれば

『記号』(言語を含む)の

構成要素は誰が創ったのかという

問題も出てくるじゃない

ぼくはぼくでありたい 

特別なものでありたい 

そう思ってみたところで

人間という

肉体と精神の混合物である以上

その行動や様式(形態)はあくまでも

進化の刷り込み 

時代の刷り込み 

環境の刷り込み 

で つくられているとしか

言えなくなっちゃうんじゃないかな

では 

『ぼく』ってのはなんなのだろう?

精神

『ぼく』っていうものが

仮に特別なものだと仮定しようよ

じっさいそうでありたいと

思ってはいるんだけどね

だとすれば

可能性をどこに求めればいいんだろう

肉体乗り物説を唱えていたよね

海の底深くにいる潜水艦の艦長が

ぼくの本質だってことにするよ

通常の状態だと

艦長の存在意義なんてないと思うんだ

(じっさいの潜水艦だとそうはいかないだろうけど)

日常 ほとんどのことは

自動操船によって

稼働するんじゃないかな

では 艦長の役目ってなんだろう? 

一つ思いつくのは

最終決定の意思決定者ってことだね

人生には

(そこまでカッコを付けなくてもいいけど)

大なり小なり分岐点というのが

無数にあると思うんだ

その時に

選択肢の中のどれを選ぶのか

っていうのが

精神(艦長)の最重要課題じゃないんだろうか

その選択の一つずつで

もしかしたら

世界が分かれていくのかもしれないよ

量子力学の解釈の一つに

エヴェレットさんの

多世界解釈があったじゃない

波動関数を実在だとして

でも 確率解釈みたいに

波束の収縮が生じるんじゃなくて

重ね合わせ状態が干渉性を失うことで

異なる世界に分岐していく

という考え方だね

量子力学の観測問題の一つの解だけど

この『観測』という言葉に

なにか重要な意味があるのかもしれない

存在はただ在るもの

存在者はデータ

個はそのデータを外部観測器官で取り込む

肉体が乗り物だとすれば

乗り物の自動操船の部分は

データをインプットされれば

自動的に行動をおこす仕組みだってこと

では 船長としてのぼくの役割は?

データから状況を読み取り 判断して 

そこからの推測を基に

進路を決めるってことじゃないかな

極端に言えば精神の役割は

次にじぶんが存在すべき『世界』を

決定するってことじゃないだろうか

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