考える仕組み Ⅰ

メメント・モリ自問自答
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触覚

人間の外部観測装置

いわゆる五感ってやつは

基本構造として触覚でしかないんだ

触覚というと

触ることしか思い浮かばないけど

視覚にしても聴覚にしても

その他の感覚も

所詮暗闇の中で

手探りをしている

みたいなもんなんだよ

たとえば『目』

目の構造としては

外郭(人間と本質の接点だね)

にあるレンズ(目の玉だよ)に

入ってくる電磁波を

捉えるってことだね

電磁波の波長は

それこそ長いものから

短いものまで

千差万別

一定以上波長が長くないと

目の表面レンズという

物質を通過することが

できないんだ

その中で無事に

レンズを通過できた電磁波は

目の玉の奥の

網膜まで届くってことになる

ここでも波長が

問題になっちゃう

レンズの時と逆で

波長が長すぎると

網膜なんて簡単に

素通りするんだから

困ったもんだ

けっきょく

『本質』の中を

飛び回っている電磁波の内の

『可視光線』と呼ばれる

一部の電磁波だけを

人間の網膜は受け止めることが

できるってこと

言い方を変えれば

網膜が電磁波に触るってことだね

耳は鼓膜が音波に触る

舌はその表面の味蕾が

鼻は匂い成分を嗅粘膜が

指なんかは言葉通り

刺激となる外力を

機械的接触で感受するってこと

人間は『本質』を

撫でまわすことで

情報収集しているってことだよ

触覚の精度

さて 『感性』の主要な仕事は

『本質』をなぜまわして

その形を認識しようとする

ってことなんだ

目の見えない人が

手探りでモノの形を

理解しようとしているのと

同じだね

目をつぶって

やってみるとよくわかるけど

これってなかなか

難しい作業なんだよな

触っている部分が

全体の中の

どの部分かもわかっていないし

対象の大きさも

わからない

そして 手の届く範囲しか

触れていないんだから

全体の様子なんて

わかるわけがない

慎重に触っても

微妙な差異は

捉えきれないかもしれないし

『本質』ってものが

柔らかかったら

触るたびに凹んじゃうじゃない

目をつぶってスライムに触っても

その本来の姿って

わかるわけが無いって

思わないかな

そんな状態でも

何度も何度も触ってみて

じぶんの中で想像をめぐらして

『本質』ってものの

本性を暴こうとするんだから

知的生命体の『業』って

始末の悪いものかも

しれないんだよ

これって科学にも

言えているよね

暗闇の中のかすかな痕跡を

拾い集めて仮説を立て

それをまた検証してって……

科学者たちっていうのを

尊敬する(もしくはあきれ返る)のは

あたりまえじゃないかな

でも 科学者だけじゃなくて

これってぼくたちみんなが

やっていることなんだけどね

感性から悟性に

感性でわかるものは

なんだろうか? 

人間の感知能力なんて

けっきょく触ることでしかない

と言ったけど

ぼくたちの知っている

単純な触覚だけじゃ

ないんだよ

視覚も聴覚も

原理は触覚と同じだよ

っていうだけで

だから感性で

捉えられるものって

考えるときに

すごくシンプルに

ぼくたちが感じ取っている世界のこと

を思えば良いってこと

触覚だと誤解を招きそうだから

ぼくらで一番わかりやすい

視覚で考えてみよう

感性は受信機

入ってくる電磁波を

網膜で捉えるまでが仕事

こんどはその情報を

分類・整理する仕事が

待っているね

ここで気を付けなきゃいけないのは

感性が捉えた情報っていうのは

あくまでも『デジタル情報』だってこと

極端に言えば

(視覚で言うなら)

ある位置の色相・彩度・明度を

連続して観測しているだけなんだ

その情報には

動きも無ければ

奥行きもないってことだね

もっといえば

全体像もないかもしれない

液晶テレビなんかで

言うならばドット

(画面の中の赤青緑の粒々だね)

だけを捉えているってことなんだ

情報としてはドットの色が

赤青緑のどの色かってことでしかない

それを像として

一枚の絵にするのが

『悟性』の働きってこと

写真に仕上げるのが

『悟性』の仕事

ってことなんだよ

写真ってわかりにくければ

テレビに映し出すって

ことでもいいけどさ

(テレビってのは一秒30コマ

ぐらいの連続写真だからね)

この情報を

今度は理性にまで届けるって

大事な仕事が待っている

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