ファースト Ⅱ

散歩の途中
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セカンドへの刷り込み

――セカンドには物理的なものを指向するという刷り込みが

何億年という準備期間の間に行われていく

直接知覚出来ないものを認識する存在とは

あきらかに物理的な要因が無い状態で存在できるもの

だが そのことに気づかせるわけにはいかないからな――

? 

物理的要因の無い状態で存在できる? 

どういうことだろう?

もし そのようなことが可能ならば

わたしの理想とする状態なのかもしれない

――『時』にも可能性としては

物理力で干渉できるんだが

そこはひとまず置いておこう

わかりやすいように『色』で考えて見な

『色』の現状や形質を変えることを

おまえたちは物理上の力でやっているだろうが

そして その物理上の能力は

すさまじい勢いで拡大していく

だが どちらにしても

あくまでも時と色との共存の中で

発揮される力でしかない

物理力を使ってものごとを解決しようってのを

刷り込むために

回りくどい進化の刷り込みってやつが

おこなわれるんだからな――

物理上の力

科学力ってもののことだろう

たしかに現代の科学は

一昔前の世界観を大きく変えてはいる

だが 物理的要因の無い状態での存在なんてものが

科学の力で見つかるとは思えない

もしかすると遠い未来には

幽霊の存在なんてものに迫れるのかもしれないが

――それこそが必要とされるんだ

セカンドと呼ばれるものの資質の中には

すでにファーストと同位の資質がある

それに気付かせないために

刷り込みが行われていると考えていいのさ――

認識

「知覚できないものを認識する能力」

なんとなく納得できるものだけど

実際のところどうなんだろう

極端に言えば

観測と認識っていうのはどう違うんだ

ってことかもしれない

もっといえば

観測と測定の違いっていうのもあるかも

『認識』を調べてみると

物事の本質や意義を理解すること

って書いてあるね

どちらかと言えば

哲学寄りの使い方が多いみたい

「主体あるいは主観が対象を明確に把握すること」

って書いてあるところを見ると

どちらかと言えば『真実』の概念に近いのかもしれない

測定は対象を

決められた一定の基準と比較して

数値と符号で表すことを指すんだそうだ

認識との対比で言えば

こちらは『事実』の概念かも

量子力学なんかで

よく出てくるのが観測だよね

観測がいちばん主体においているのが

変化と推移

測定が三次元物理量の特定に対して

ある意味 時間と空間という

四次元物理量の測定ってことじゃないかな

いつも書くけど

『和訳』だともともと使われていた意味が

違っちゃうことがあるから

一応英語でも調べてみたけど

認識(recognition

測定(measurement

観測(observation)と

ちゃんと使い分けがされているみたいだね

認識・測定には

時間推移のことが意味合いとして

含まれていないけど

わざわざ入れなくっても

当たり前じゃないかってことで

書いてないだけかもしれない

厳密に言えば

観測っていうほうが正確だとは思うけど

観測と測定はほぼ同一線上にあるんじゃないかな

だからこれらをまとめて

『知覚』という言葉にしているのかもしれないね

存在と現存在

哲学を思い出してよ

人間には存在ってものを

真に認識できないって意見が

多かったと思うんだ

これって

『事実』は人間には認識できなくって

『真実』のみ認識できる

ってことだよね

量子力学の多世界解釈じゃないけど

観測した時点で波動関数が収斂するんじゃなくて

観測によって世界が分岐していくってことと

同じかもしれない

そうだとすると

「知覚できないものを認識する能力」

っていうものは

とてつもない能力かもしれないんだ

『認識』≠『事実』だけど

『認識』=『真実』って方程式は

成り立つよね

人間は『存在』っていうものを

個々の人間の知覚によって

認識しているだけ ってこと

言い方を変えれば

人間にとっての事実(存在)っていうのは

個の知覚する真実

ってことにならないかな

ところが人間(セカンド)には

「知覚できないものを認識する能力」が

あるってことになっちゃうと

認識さえしちゃえば

世界は存在しちゃうってことになるんだよ

――……直接知覚出来ないものを認識する存在とは

あきらかに物理的な要因が無い状態で

存在できるもの……――

これはエオが 

ファーストについて語っている部分だけど

ぼくたちにもその能力が

あるってことじゃないかな

だから 進化の刷り込みってものが

重要になってくるんだろうね

物理力に特化するってことは

知覚するものを常に実証していくってことだもの

対外的なものを己の中で完了せずに

他の事象と比較対照することを

刷り込まれているってことだよね

エオも言っているけど

――だが哀しいことにセカンドには

進化の刷り込みが行われている

知覚できないものを認識する能力とともに

現実に実証できないものを

完全に信用することができないという刷り込みが――

ってことだね

と すれば

この進化の刷りこみってものさえ外れたら

ぼくたちは神のような存在に

なるのかもしれないよ

もっとも 神様っていうのが幸せか? 

って言われたら何とも言えないけど

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