ファースト Ⅰ

散歩の途中
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ファーストとは

またとんでもなく意味のない方向に

脱線しちゃったもんだ

『死』ってものを考えること自体

ある意味『無意味』という

とんでもない矛盾を抱えちゃっているのにね

とにかく 『散歩』メモの続きを書いてみよう

――ファーストっていうのが

実際のところどのような存在なのか

おれにもよくわからない

理屈はわかるさ

色と時から解き放された意ってことだ

ならば 開放された意とはどう違うのか? 

それが問題

おれのわかる範囲で一番近い存在といえば

汲み出してきた入れ物が壊れた後

消滅するまでの不安定な状態にある意だろう――

色と時から解き放された意? 

意とはもともと色と時とは独立した存在じゃなかったのか? 

その上 よくわからない存在であるファーストってものと

わたしたちが属していると言われるセカンドってものとは

どう関係しているというのだ?

――セカンドとファースト

その存在自体にそれほど差異があるとは

言えないのかもしれない 

ファースト予備軍を

セカンドと呼んでいるといったほうが正しいのだろう

セカンドは自分の感覚器官では

捉えられないものまで認識できる能力を持っている

想像力とも呼べるが

極端にいえば未来のことまで予想し得る

ただ それは考えることはできても

実際に手に入れることができない知識

予想や想像はできたとしても

それを現時点で実証するすべはない――

予想や想像なんてものは

まず外れると思っていてもいいと思うんだ

そのこと自体に

全生涯を掛けて研究している人間でも

未来予想はけっして当たることは無いのだから

まだ 天気予報の方が

信憑性は高いかもしれない

――時に対してだけじゃない

色に対しても同じように

現実にあるもの以外のものを認識できるし

実際のものとは違う状態を想像することができる

それがかなうかどうかは別の話だがな

未来に関する予測や予言は実証の可能性はあ

その時がくるのを待てばいい

だが 時自体を湾曲するすべを

今まで持ったセカンドはない

もっとも 物理的な力を使って時間を湾曲させることは

理論上可能なんだが

できりゃおまえらに見つけて欲しくはないな――

タイムマシンのことだろ

その研究は確かになされているが

今のところ実用化への道筋は見えていない

どちらかと言えば理論的には不可能だという意見が

大勢を占めているような気がする

――この世界は『時』『色』の二大要素と

それを成立させるための『意』という

結合エネルギーで構成されているといってもいいだろう

『知覚出来ないものを認識する能力』

こいつはそのバランスを崩す

意が単独で存在しうることになってしまうのさ

わかるか? 

ここんところはできるだけ

押さえておいてくれ

時と色に従属せずに『意』単体で

あり続けることも消え去ることもできる存在

おれたちはその概念を『ファースト』と呼び

その存在を忌み嫌う

少し違うな 恐怖するかな

そのように刷り込まれているんだ――

『意』単体での存在

想像することも難しいが

もしそんな存在に自分がなれるとすれば…… 

イメージはまるで掴めない

だが……

もしかすれば

あこがれるべき存在かもしれない

もしかすると

忌避すべき存在かもしれない

――知覚できないものを認識できる能力ってのを

よく考えてみな

己を時・色から切り離せば

どんなことでもできる能力ってことにならないか? 

おまえらの考えてるような

ちゃちな超能力なんてもんじゃないぜ

想いがそのまま実現する

もっともそれが現実かどうかなんて知ったことじゃないが

それこそ全能といえるじゃないか

そう 物理力を使わずに

なおかつ時と色との共存を必要とせずに

ファーストはそれらを成してしまう存在だといわれてるのさ――

刷り込み

『散歩』の中で

『ファースト』に対しての記述は

それほど多く費やされていないんだよ

そのうえ書き込み全体に

バラバラと散りばめられているんだよね

この『ファースト』っていうのが

じつはこの書き込みのメインテーマのような気がするのは

ぼくだけなのかもしれないけど

そこに引っかかって

メモまで残したのは間違いないと思うんだ

だらだらと生物の進化についての記述があるけど

どれもこれもセカンドに対する

進化の刷り込みについて語っているだけみたいなんだ

『進化の刷り込み』って

初めて書いたかもしれないけど

ぼくたちがある意味『常識』っていうか

『そんなもんだ』と思っていることの大部分は

この刷り込みによるものだって説は

納得できるんだよね

『進化の刷り込み』

『地域の刷り込み』

『時代の刷り込み』なんて出てくるけど

生物学のところで本能と学習のどれもが

生体(肉体でもいいけど)由来じゃないかって

結論を出しかけた部分と

共通するところがあると思うんだ

――生物 おのれがあり続けることを指向するものが

初めに出会う障害は外部の環境からいかにして身を守るか

対外界 物理的要因を

いかにクリアーするかが第一命題になっていく――

明らかにこれって精神に対してじゃなくて

肉体に対してだよね

外部環境に自分の肉体の形質を

いかに適応させていくかってことだもの

――そして次に待っているのが

個をいかに維持するかという命題

どうすれば効率よく

自己生存のためのエネルギーを摂取することができるか

激しい戦いがかれらには待っている。

そして闘いの中からは進化がおこる――

これも同じく

じぶんの身体をどうやって維持するのかってこと

――そして最後に待っているのが他者との戦い

他の同様な生物たちからいかに守るか

いかに都合よく利用するか

そのことが生物のスタートの時点では待っているわけだ――

結局生物ってものは

その身体を

どうやって持続させるかが第一命題

ってことにされちゃっているんだよね

物理的に優位に立つものが

生き延びることが出来る

言い方を変えればより強く

より貪欲に外界に対していくことこそ

生物の『正義』ってことが

35億年前から

根底に刷り込まれているってことになるんだよ

刷り込みの必要性

なぜ そんな手間暇をかけて

物理的に有利なものが

生き延びることができるってことを

刷り込まなくっちゃならないのか

たしかに 『進化論』なんかの

種の繁栄・存続に

(種じゃなくて遺伝子かもしれない)

必要なことだとは思うけど

では なぜ種は繁栄・存続しなくちゃいけないのか? 

そういうシンプルな疑問が出て来ないかな

そんなことは当たり前のことじゃない 

って答えはぼくのなかにもあるんだけど

これが単なる『進化の刷り込み』のせいだと言われて

反論する理屈も実際のところぼくには無いんだよね

もし『散歩』に書かれているように

生物(生命)っていうのが

多すぎる『意』を汲み出すための

単純な排水装置だとしたら

ある種族の繁栄・存続なんてものに

意味は無いってことになっちゃわないかな

一つの種族が早々に滅亡したとしても

別の種族が肩代わりすれば問題ないわけだからね

この生物に対する『刷り込み』が

35億年という時間をかけて行われるということは

排水装置の最後の切り札である

『セカンド(ぼくたち人類)』に刷り込むために

行われているとしたらどうだろう

エオも言っているように

『セカンド』とは最終兵器であるだけに

歪な存在ってこと

その歪さを暴走させないための

安全装置として

35億年の刷り込みが行われている

これってなんとなく

納得させられるはなしじゃないのかな

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