『存在』と『存在者』

自問自答
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そして『存在者』

訳の分からないことを

延々と書いちゃったけど

『存在』と『現存在』という

はっきりした対立概念は

昔から言われているわけだ

なぜ ハイデカーさんは

そこに『存在者』という

はっきりしないものを

持ち込んじゃったんだろう? 

そして なぜかその概念があることで

なんとなく納得できるのは

なぜだろう? 

ひとつの仮定をしてみよう

ハイデカーさんの主張とは違うだろうけど

彼の使った『存在』『存在者』『現存在』という

言葉だけを使わせてもらうね

『存在』と『現存在』は

ひとまずそのままにしておこう

問題は『存在者』

『存在者』という言葉を使うと

どうしても『人』という概念が生まれちゃうけど

実は存在者というのは

人間に限らず身近なモノって考えたらどうだろう

たとえば自分の飼っているペット

中にはあまり付き合いのない親戚より

重い存在になっている人って

いるよね

生き物に限らなくても

付き合いの薄い他人よりも

愛着を持っている物や存在がある人って

それほど珍しい存在じゃないような気がするんだけど

だから『存在者』を『現存在』に

影響を与えるものってことにすれば

いいんじゃないかな

『存在』という漠然としたものの中にも

『個』にとって認識もしくは

影響を与えることのできる範囲があって

それを(人間に限らず)『存在者』と呼ぶ

そのほうがすっきりするように思うね

言い換えれば

存在者には濃淡みたいなものが

あるんじゃないのかなってこと

量子力学の不確定性原理で

位置と運動量の

どちらかを固定すると

残りは無限大の不確定が

起きるって言うのがあったよね

だから 量子の位置や運動量は

確率でしか求められない

そう言うことになっている

たしかに

確率でしか求められないってことは

不確定な存在だといっても

いいかもしれないけど 

確率の高い低いはあるわけだよね

もうひとつ

観測された瞬間にその確率は

一点に集約するって言うのもある

個の持つ環世界 

外部情報器官から入力された情報を

『存在者』としようよ

その『存在者』には個にとって

思い切り濃い『存在者』と

ほとんど感じられないぐらい薄い『存在者』が

あるんじゃないかな

存在

また仮定をしてみよう

宇宙ってものは演算子だって

解釈があったと思うんだ

演算子ってなんだ? 

って疑問は当然のこと

すごく簡単に言えば算数の

『+』や『-』みたいな

そこを通ると姿が変わる記号

みたいなもんだね

そこを通るものは

非演算子って言うみたいなんだ

このあたりは以前書いたと思うから

飛ばしておくね

幼稚なたとえをすると

1+1=2っていうのは

「非演算子1が演算子+を通って

1のところにいくと2になるよ」

という文を

数学という言語で表した

ってことなんだと思うんだ

変化を起こさせるブラックボックスを

演算子とか作用素っていうらしい

このブラックボックスが

必ず一定の作用を起こすという前提で

ぼくたちは生きているわけだ

ブラックボックス=因果関係

って言ってもいいのかもしれないね

さて 

『存在者』っていうのが

『存在』観測者(個)によって

認識しうる足跡じゃないか? 

という仮定から考えると

存在そのものは

ただ在るだけのもので

そのもの自体は『個』には認識できない

だけど そこに非演算子が加わると

(因果関係が加わる)

認識可能なものが出来ちゃう可能性がある

ってことにならないかな

人間は因果関係のないものを

認識することはできないらしい

言い換えれば演算子と非演算子の

関係の無いものは

認識できないのかもしれないんだ

観測者

まだまだ

仮定の上に仮定を

積み上げていくよ

たぶん 訳の分からないものに

なっちゃうんだろうけどね

宇宙が演算子だっていうのも

あくまでも仮定なんだから

存在ってものが

ただそこに『在る』ものだ

ってことにしてみよう

いってみればただのデータや資料だね

そこまでも行かないかな 

本当にただ『在る』だけのモノって感じ

そのただ在るものが

宇宙という(ぼくたちの認識の世界)

演算子を通って

データや資料になるってこと

そのデータや資料が

『存在者』ってことだね

ただ その演算子が

ブラックボックス化しちゃっているから

出て来たデータや資料は

その時点では

ただ本の並んでいる

巨大な図書館みたいなもの 

ってことかな

存在をただ在るだけのモノ

存在者をデータや資料と考えると

存在者自体もただ存在しているだけのモノ

ってことになるよね

言い換えれば

ただのスカラー量だってことに

なっちゃう

その存在者に(データや資料)

現存在が意味を持たせると(分析する)

変化や兆候を表す存在

ようするに方向性のある

ベクトル量になっちゃうって

考えるのはおかしいかな

人間は因果関係のあるものしか認識できない

ということを『是』とするならば

ぼくたちが

認識できる情報っていうのは

このベクトル量だけって

考えられるんだ

逆に言えば

そのベクトル量を

『情報』と呼ぶってことじゃないかな

これは 以前にも書いたんだけど

情報が情報として存在するためには

まず『存在』をデータに変換する

宇宙という演算子が必要

その結果 そこに『存在者』という

(濃いか薄いかは別にして)

データが出現しちゃう

そしてそのデータは

あくまでもスカラー量だね

そのただのスカラー量である

データ(存在者)を

情報としてベクトル量に変換する

『なにか』の存在が

必要になるってことなんだ

もしかすると

『なにか』っていうのが

ぼくたち『現存在』なのかもしれないね

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