存在 存在者 現存在

自問自答
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ハイデカーさんの言葉を借りてみよう

哲学じゃ存在ってものを

どう捉えるのかってことが

重要課題なんだよね

『存在』以外にも

『本質』『物自体』『意志』『事実』

その他諸々の呼び方がされるけど

自分の外側の世界ってこと

宇宙とか世界とか神とか言っても

いいかもしれない

単純に言えば

個体ってものは身体という外殻によって

外部世界から切り離されている

そして 外部の情報は

観測器官から入ってくる

限られた情報しかないんだよ 

ってところで

ほぼ一致しているんだね

だから 人間には

本質はけっしてわからない とか

じつは 人間の根本は

本質と繋がっているから

頭では理解できなくても

感じることはできる とか

本質を理解するための方法を

見つけようと

試行錯誤しているわけだ

感覚の中ではやはり

外界ってものは存在しているように感じるけど

はたしてそれは事実なのか

ただの真実なのか

っていうのも

重要な課題なのかもしれないよね

だけどそれぞれ皆

真剣に考えてはいるんだろうけど

それを表に発表するためには

言葉が必要なんだよ

いつも言っているように

言語って言うのは不完全

とくに 翻訳なんかされているものは

伝言ゲームと同じ

正しく伝えられていくことは

無いんだと思うんだ

それに注目したのが

『意味論』や『現象学』

なんじゃないかな

ハイデカーさんは

たしか現象学の流れを汲んでいた

と思うんだ

だから この個体と外界と

そしてその中間層にあるものに

『存在』 『存在者』 『現存在』

って名付けたんじゃないかな

存在者

ハイデカーさん以前に

『存在者』ってものに注視していた人は

少なかったんじゃないかな

どうしても哲学者は

『自分』と『世界』

ってものの関係を求めることに

意欲を持っていたんだろうから

不遜な言い方をすれば

自分にしか興味のないぼくと

同じってことかもしれない

(さすがに言い過ぎだよね)

ただ 

現生に残されている思想を

考案した人々っていうのは

自分の考えたことを

他者に話したり 書き残したり

してきた人ってこと

だから 必ずしも自分のことにしか

興味が無かったわけじゃない

のかもしれない

もしかすると

もっと本質に近づいていたんだけど

誰にもそのことを伝えずに

消えていった人たちも

多いのかもしれないんだ

現実の世界で生きていく

ということと

じぶんの思索を追求する

って言うのは

相いれない部分があるのかも

しれないからね

もしかすれば

数多くの自殺者の中にも

本質に近づいたために

自ら命を絶った人がいるかもしれない

この 現実の世界では

生きるってことに一番関係しているのが

『存在者』ってことかもしれないんだよ

存在者って人なの?

存在と現存在の間の障壁

そんなものは長い間

いろいろな人によって

考察されていったし

きっと(今のところ)

結論の出しようのないもの

だと思うんだ

もし なんらかのヒントがあるとしたら

たぶん自然科学の分野からなんだと思うよ

では 存在者についてはどうだろう

ハイデカーさんを解説しているものには

存在者というのは

身近だったり

関係性のある 対他人のことを

示しているような書き方が多いね

現存在と存在者の違いとして

『死』ってものが出てくるくらいだから

ハイデカーさん自身も存在者=人間 

それも社会的関連のある人間として

考えていたのかもしれない

でも ちょっと待って

社会生物学や行動生態学の理論を

人間に適用できるのかという論争が

(社会生物学論争)

起きていたのを

覚えているだろうか

現代における結果としては

社会生活を営む生物の行動原理が

人間にも当てはまるってことが

ほぼ通説になっている

(多くの実証データが出てるもんね)

人間学や心理学でも

そこのところを踏まえて

人間行動生態学とか

進化心理学なんていう研究が

おこなわれているのも

事実なんだ

そこで問題

存在者って

対人間ってことなのだろうか

人と人とのコミュニケーションとか

社会の中での人間のありかた

そんなものは多くの研究が

行われているし

じっさい 社会の中での

役に立つ思想としては

必要だと思うけど

そのことと

ハイデカーさんの考えは

同じ方向を向いているんだろうか

存在 現存在 存在者って分け方

存在は人間じゃないよね

現存在はもちろん人間

では 存在者っていうのは人間なの? 

それとも人間じゃないの?

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