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メメント・モリ自問自答
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もう一度考えてみよう

どうやら物理学の世界

特に量子力学の世界は

宇宙っていうのか 世界の構造が

ぼくたちの知っている

モノ(物質かな?)で

構成されているんじゃない って

方向に進んでいるように

思えるね

じゃあ この世界ってのは

何なのだろう?

ぼくたちが生きている世界

ぼくの感覚では 

どう考えても

ちゃんとした物質で出来ている

そのように思えちゃうんだけど

違うんだろうか?

宇宙(世界でもいいけど)は

モノじゃなくて

ただの演算子だって言われても

ぼくの頭のなかは

『????』が

飛び交うだけなんだよな

第一 演算子って なんだ?

調べてみても わかったようなわからないような

「各種の演算を表わす記号・シンボル」

なんて書いてあるけど

それが『どうした』でしかないよ

たぶん よく使われる例えに

自動販売機ってやつがあるよね

コインを入れてボタンを押すと

なにかのジュースが出てくるってやつ

演算子は『何か』を入れると

『何か』がでてくるってこと

一種のブラックボックス と言って

いいようなものなのかも

ぼくらの知っている(見ている?)

世界っていうのは

出て来たジュースってことだね

そして 本当の世界は

自動販売機という

ブラックボックスってことかな?

だとすると そこに入れられる

『コイン』はなんだろう?

世界がブラックボックスだとすると

コインはこの世界の外から来るんだろうか?

ぼくたちの知っているつもりの

世界とは別の

なんらかの世界があるのかな?

不確定性原理

量子力学の不確定性原理

量子は確率でしか存在しない

だけど観測された瞬間に

一点に集約される

わかったようなわからないような

ぼくみたいな門外漢にしてみれば

理解しようって気にもならない

はなしだよね

もっと極端な言い方をすれば

そのことのなにがそんなに

議論の的にされているのか

見当もつかないんだ

観測するってことは

その情報をデジタル化

することじゃないのかな

だとすると

動いているものを

(自動車でも飛行機でも

走っている犬でもいいけどさ)

写真に撮ったら

一点に集約されるってことに

何の疑問も無いんだけど

たしかに写真の構造から

瞬間(この言葉も物理学は嫌うみたいだけど)

ってものは写せないのは

わかるように思うよ

高速で移動するモノを

写真撮影すると

ぶれるってことはわかるんだ

でも 限りなくシャッタースピードを

早くすれば静止画像になるように思うし

飛行機だったら

空中に停止している画像も

撮れるように思うんだけどな

「観測とは空間のみを認識する作業」

そう定義づければ

それで解決 ってわけには

いかないんだろうね

因果

量子の位置を確定させると

運動量が決まらなくなる

逆もそうらしいんだけど

これって運動量を

ベクトル量として考えているだけで

スカラー量として考えれば

矛盾が生じなく

なるんじゃないの?

ちなみに ベクトル量っていうのは

大きさと向き(速さもかな)を

持った『量』で

スカラー量っていうのは

大きさだけの『量』ってことかな

たとえば自動車

止まっている自動車の『量』は

スカラー量

単純に車の重さだね

走っている自動車の『量』は

ベクトル量

どの方角へどの速度でどの重さの車が

走っているのかってこと

物理学でどうして

ベクトル量が重要視されるのか?

これって『確率解釈』が

当時の科学者たちから

批判を浴びたことと

関係があるような気がするな

物理学だけじゃなくて

数学でもその他の学問でも

このベクトル量っていうか

ベクトルって

考えかたが重要視されるのは

ほとんどのものの

論理の組み立て方が

(仮説も含めてだけど)

ベクトルって考えかたで

組み立てられているからなんじゃないかな

ベクトル

ぼくみたいな文系の人間からすれば

『因果関係』っていうものに

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