新天地 Ⅱ

メメント・モリ散歩の途中
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セカンドへの道

――哀しいことだが

新天地に第一歩を踏み出したものたちは

次代を築くための布石である場合が多かった――

先駆者の悲哀ってのは

人類の歴史だけではなく

この地球の、いやこの世界の

持って生まれた宿命なのかもしれない。

――捕食能力の低い動物たちが

ある程度まで分布しだしたころ

両生類と昆虫類の間に挟まれて

かろうじて生き延びてきたものたちが

新天地に侵入を開始する――

先発隊と後発隊。

どちらが評価されるのかは

後世の判断でしかない。

ただ判断ではなく結果だけを見れば

後発隊のほうが有利だということは明らかだ。

――そう水中から地上へと生物が上陸したときと

同じことがここでもおきただけだ。

そこは彼らにとって楽園だったであろう。

食べて、食べて、食べつくす。

理屈じゃない

ましてや思想や理念なんてものでも当然ない。

ただ欲求の強いもの

現状に満足できないものが生態系の勝者になる――

美意識や信念。

人類が掲げる大義名分なんてものは

進化の過程では必要とはされない。

ただ単に先につなげることができるか否か

それだけが必要とされる。

――何度もくりかえされるこの循環。

おれの属していたバクテリアの時代にも

少しは行われていたぐらいだ――

勝ち組だとか負け組だとか

最近は騒がれることが多い。

だがその勝ち負けの判定は

あやふやでしかない。

ただ生き残ったものが勝つ

それこそがシンプルな基準なのかもしれない。

――そこでの敗者が新たな新天地を望み次代の覇者へ。

また、そこでの敗者が次代の覇者へ。

生物生存可能領域がどんどん広がっていく。

ただ、条件的に生存可能領域は限定されている。

最終の覇者は最後に切り開かれた新天地を

制覇したものの頭上に輝くはずだ。

こうしてセカンドの誕生の条件が整った――

合意管轄

セカンドってものが

どんなものなのか。

最後のほうまで読んでいるぼくにも

理解しているとは言い切れないところがある。

いまさらこのブログを書き出してみて

残しておいたメモを見返しているけど

けっこうグダグダと書かれていたものだ。

よく飽きずに読んでたものだと思うね。

まあ書き残しているメモを

初めから順番に書いていって

その切り取った一部分だけに

コメントを入れているだけだから

読んでくれた人には

わけがわからなくて

当然だろうな。

国会中継を

ライブ配信で見ているようなもので

同じようなことが繰り返されたり

かみ合わない論争が繰り広げられたりで。

たまには意味不明なヤジが飛んだりね。

またまたちょっと脱線するけど

(もともとちゃんと線路があるわけじゃないけどね)

あの時間をただ費やしている

ようにしか見えない論争にも

意味があるらしいよ。

もっともこれは店に来てくれる

法律関係のお客さんから聞いた話だし

そのお客さんにしたって

お酒の席だからね

必ずしも本当のことかどうかは

わからないけど。

国会っていうのは

法律をつくるところ。

よく言われる

司法・行政・立法の

三権分立のひとつのパーツ。

世の中っていうのは

利害関係でできている。

個人の正しさっていうのが

必ずしも全体の正しさと

合致するとは限らないじゃない。

百人いれば百通りの正義があるってね。

では二つの正しさがぶつかったときにはどうするのか?

利害関係のない審判が

どちらの正しさのほうが正当かを

判断するしかないわけだ。

契約書って読んだことある?

身近に感じられないかもしれないけど

ほとんどのものに

契約ってものがされているんだよ。

たとえば携帯電話だって

ちゃんと契約書が交わされているんだから。

で、その契約書

小さい字で延々と書いてあるけど

あの中で一番大事な項目って

知っているかな。

ぼくの知っている限りだけど

今まで見た契約書には

最後に必ず

「本契約に関する一切の紛争(裁判所の調停手続きを含む)は

××地方裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所

とすることに合意する」

なんて文章が載っていると思うんだ。

ようはトラブルがおこったら

裁判で解決してねって

ことなんだよね。

その裁判をどこでするかってことが

『合意管轄』ってことなんだ。

国会での議論

ものごとの最終的な判断は

けっきょくお互いの合意なんかじゃなくて

(言った、言わないってよく揉めるもんね)

裁判所で決めましょうっていうのが

法治国家の姿。

契約書にだらだら書いてある文面も

最後にはここに落ち着く。

で、裁判所はどうやって判断するのか?

その基準になるのが『法律』ってもの。

国会で法律が決められて

裁判所で法律に照らし合わせて判断して

行政でその判断を実行する。

三権分立の構造って

うまくできてるもんだね。

もっともうまく機能すればって

条件付きだけど。

さてここで問題。

法律ってアバウトな部分が

どうしてもできてしまう。

大雑把にくくっちゃうから

個々の事案については

判断がむずかしいことが

山ほど出てくる。

だから裁判所では

過去の事例(判例なんかだね)を

参考にしたりするんだけど

前例が無かったり

あたらしい法律だったら

比較するものが無かったりするんだ。

そんなときに判断基準とされるのが

ぼくたちが聞いていて

くだらないことを延々と問答しているようにしか見えない

あの国会の答弁っていうのが

参考資料になるらしいんだよ。

じつはあのまるで

小学生が好き勝手言い合っているような国会答弁が

法律の実効性の

基本単位になっているんだね。

だから何度読んでもわからないような

法律文章だったり

どうとでもとれる答弁で

議員さんたちは将来の責任回避をしている

なんて言うと怒られるかな。

おもいきり脱線しちゃった

なぜ国会の話になっちゃったんだろう?

きっとテレビか何かで

国会討論を見たんだろうね。

そのあまりにも悠長な議論に

こんなことを書いたのかもしれないな。

まあ、冗長には思えるけど

あの何とも言えないまだるっこい質疑応答が

民主主義ってものの

良いところなのかもしれないね。

そろそろ話を戻して

これからいよいよセカンドのはなしが出てくる。

『セカンド』と『時』『空(色)』『意』なんて

ところが出てくるんだけど

そこへ行く前に

雑学のほうを進めないと

わからなくなってくるんだよね。

そろそろ『相対論』を書いてみたいんだけど

ぼくの頭ではぼんやりとしか見えないんだよな。

こまったもんだ。

だから次にどちらを書き出せるかわからないし

はなしがごちゃごちゃになるかもしれないけど

どうせじぶんのための覚書。

思いついたところから

書いてみよう。

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