山小屋
なかなかのコーヒーだった。
手際もみごとなものだ。
これははじめてわたしがエオと出会ったときのはなし。
山の中の小屋でコーヒーを前にして
はなしがはじまった。
一風変わった小屋だった。
そしてはなしも変わっていた。
まともそうなのはエオと名乗った人物だけ
だがこの人物が一番変わっていたのかもしれない。
なぜこんなことになったのか。
退屈していた、そのひとことにつきると言うと
間違いではないが少し首をかしげるところ。
日常を離れて非日常にあこがれる
そんなときなんてものはあなたにもあるだろう。
退屈がふだんなら決してしないような行動をとらせたってことにしておこう
こんな山の中にとつぜん現れた山小屋に
警戒心もなく踏み込むなんて。
非日常なくせに意外と日常そのもののような
ありふれた内装の小屋と小屋の住人。
心ときめくようなシチュエーションじゃなかったのは確かだった。
――そこから扉が二つ見えるだろ。右手にあるのがおまえさんが入ってきた扉だ。
もう一つ左手にあるのが世の中から取り残された世界ってところだな――
小屋に対する説明を求めた結果
返ってきたのがそれだけ。
目の前の状況なんてものはそれほど意味がないってことなんだろう。
じっさい、そしてたしかに意味はなかった。
場所も時間も少々わたしの感覚と食い違い過ぎていた。
なんといってもはなしの始まりは91億年前だったのだから・・・
原点に戻ってみよう
量子力学から唐突に
わけのわからない文章に飛んでしまった。
もうしわけない。
まえにも書いた通り
ハイゼンベルグさんの『不確定性原理』を
書く(理解する?)には
相対性理論が少しはわかっていなけりゃならない
ってところで悪戦苦闘しながら
今現在相対性理論のお勉強中。
はっきりいって頭が限界を超えているんだよね。
わかっている部分だけでも
書ければいいんだけど
中途半端に書いてしまうと
後になってつじつまが合わなくなってしまう
ってことになりそうなんだ。
ぼくの想いだけなら
好き勝手書いて
後でごめんなさいで済むけどさ
少なくとも今現状正しいとされていることには
まともに向き合わなくっちゃもうしわけないじゃない。
ってところで相対性理論編までもう少し
(そうとう長くかもしれないけど)
時間をください。
だからといって何も書かないってのも芸がない。
なんといってもこうしてポチポチと
キーボードを叩くのが
ルーティンの一角
あまりに長いお休みをもらっちゃうと
もう書けなくなりそうでこわいもんね。
だから、ぼくがこのブログを
書くようになったきっかけの
ある書き込みのはなしの紹介で
ごまかしてみようってことで。
まえにも書いたことがあるし
事実なのか妄想なのか
小説みたいな作り話なのかノンフィクションなのか
荒唐無稽にも思えるし
どことなく事実っぽいところもある書き込みだけど
ぼくの原点になっているんだよね。
『散歩の途中』とその流れにある
『コレスでお茶を』。
暇があったら読んでみて。
抜粋するとわからないかもね
冒頭に書いたのは
『散歩の途中』の一部分。
ぼくの検索のしかたが間違っているのか
サイト自体が閉じているのかよくわからないけど
じつは現在その書き込みにたどり着けない状況なんだ。
もう十年位前に出会った書き込み
あまりにその時の心情に被っちゃったもので
メモを取りながら読んでたんだよ。
(恥ずかしながらまだPCを始めたばかりで
コピペさえ知らなかったんだ)
だから断片的なメモと
あやふやな記憶だけを頼りに
書いてみようとしているけど
うまく伝わるかどうかは甚だ疑問。
構成は書き手の独白と
問答集みたいな感じ。
はなしの始まりは
91億年前って
これだけでも荒唐無稽だね。
なぜあれだけのめりこんだのかは
よくわからないんだよな。
でもそれからいろいろ調べるのが楽しくなって
ついにこんなブログを書くようになったんだから
ぼくにとっては原点なんじゃないかな。