死後の世界

散歩の途中
スポンサーリンク

また得意の脱線

変に『臨死体験』なんて書いちゃったから

またまた脱線しちゃいそうだね

死後の世界に対しては今のところ

三方向から見たの観点があるって書いたけど

これは誰かの受け売り

じっさいには まるで研究が進んでいない

といってもいいかもしれない

それでも 研究している人はいるんだよ

ただ 死後の世界っていうのは

この世界とは次元を異にしている可能性が高そう

この世界のことを

研究しようとする科学の世界では

前に書いたけど意識ってものは脳の産物

したがって脳が機能を停止した場合意識は無くなる

すなわち死後の世界など無い

って結論が出るのはおかしくないと思うんだ

でも『脳』は『色』

この理論で行くと

『意』の存在がどこかに追いやられちゃうんだね

宗教からの視点

現在の世界三大宗教で考えてみよう

キリスト教・イスラム教・仏教では

(ユダヤ教 ヒンドゥー教はいったん保留しておくね)

「天国と地獄」

「極楽と地獄」

「ジャンナとジャハンナム」のように

善人と悪人とでは行き先が違うけど

この世界以外のところに

死者は振り分けされるってことになっているみたい

もっとも これらは表面的なはなし

各宗教にはそれぞれ多くの解釈によって

分かれた宗派があるし

それぞれ微妙に食い違っているのは事実

その上 単純な善悪で行き先が変わるという思想は

時の権力者が宗教を使って

政治をコントロールするために創り上げた部分が

多い可能性が高いんだよね

現代のメインの宗教なんて

大衆に受け入れられるために

後世に造られたシンプルな教義が

広がっているんじゃないかな

ぼくの知っているところじゃ

ほとんどの宗教では

死後いったん人の魂っていうのは

待機所みたいなところに収監されるみたいだね

イスラム教なら『バルザフ』に

(地中海とか墓っていう意味らしいよ)

待機することになっているし 

仏教(大衆)なら

閻魔大王の審判が下るまで

別室で待っているってことになっているよね

すこしはなしが外れるけど 

この審判っていうのは7日に一回開かれて

6回(計7回)上告できるらしい

初めての裁判が初七日ってことだね

チベット死者の書

死後の世界を語っている文献とすると

『死者の書』が有名なんじゃないかな

死者の書と聞くとエジプトの死者の書の方が

有名かもしれないけど

エジプトの死者の書は

多神教を基に書かれているよね

だから どうしてもぼくたちが聞くと

おとぎ話っぽく聞こえちゃうんだよ

それに引き換え

チベットの『死者の書』は

インド大乗仏教の正当継承者として

その業界では信頼性が高いんだ

大乗仏教 それも密教系は

「命あるものはすべて輪廻する」という死生観が

メインにあるんだね

ぼくの勝手な解釈だと

人が死ぬといったん

待機所に集合することになるんだ

そこで次の転生先を探すことになる

でも 仏教の目標としては

『解脱』っていうのがあるんだよ

『解脱』ってなに? って

簡単に言うならば

この輪廻転生という業から解放されて

涅槃に入ることってことになっているんだけど

なかなか捉えどころのないはなしだね

とにかく 人としての目標は

涅槃に入るってこと

そのために 禅だとか苦行だとかヨガとか

いろいろ修行法が考えられてきたけど

チベット仏教では解脱の最大のチャンスが

死の直後だって考えられているんだ

死ぬと待機所(バルド)に入ることになる

死んだ瞬間のバルドはチカエ・バルド

そこから移動して次にいくのが

楽と苦が7日間づつやって来る

心の本体のバルドと言われる

チョエニ・バルド

この間になんとか解脱しようと死んだ人は頑張るんだね

頑張ったけどどうしても解脱できなかった人の魂は

もう一回現世をやり直すしかなくなっちゃう

それでも次善の策として

少しでも良い世界への転生先を求めるために

再生のバルドである

シパ・バルドまで来ちゃうってことらしい

もしうまく事が運んで『涅槃』に行ける

そう解脱できるとしよう

この涅槃ってところは一般に宗教で語られる

死後の世界って感じじゃないんだよ

どちらかというと

それこそ次元の異なる世界ってことになりそうなんだ

そう考えると

『散歩』で言われる

意が消滅するって現象は

ぼくたちの考える死後の世界なんかじゃなくて

死んだらすべての魂が『涅槃』に行っちゃう

ってことになるのかもしれないね

タイトルとURLをコピーしました