観測記録の行方
……私たちの思いがデータだとしましょう
では わたしたちの想いを
ただデータとして使っているものとは
いったいなにものなんです?
あなただってそうだ
そんなやつらにただ弄ばれてるなんて
耐えられるんですか?……
――それもセカンドの特性なんだがわかるかな?
おまえら どうしても自分たちの範囲から
逃れられないんだ
どうして データを読み取っているものが
おれたち おまえにしてもおれにしてもだが と
同じような存在だと思うんだ?
おまえらの言う
人格や感覚を持っているものっていう思い込みを
してしまうんだ?
実際のところ
そのデータを必要としている存在が
どんなものなのかおれにもわかりはしない
ひょっとしたらおまえらそっくりの姿をした
長いヒゲをはやしたお爺さんかもしれないけどな
だけど まず無いとおもうぜ――
データを読み取る存在が
私たちと同じような人間
もしくはそれに類したものだなんて
思ってはいない
では どんな存在かと問われれば
明確なイメージがあるわけでもない
もちろん 髭を生やしたお爺さんだとは思わないが
――言ったろ
知覚できないものを認識する能力をもつ
セカンドが認識できないものが相手さ
枠を超えてる
おまえらの世界じゃそいつらのいる世界について
いろいろ考えられてきた
死後の世界 天国や地獄
生まれ変わりや輪廻転生
神に仏に絶対者
第一動者ってのもあったな
魂に幽霊・心霊現象
数え上げたらきりがない
実際科学力を使って測定しようなんて試みもなされている
仮説はいくらでも立てられるさ
だが 実証のしようがない――
いつか必ず 人類は死後の世界についても
科学的な証明をするはずだ
と 言い切りたいが
今のところ死後の世界を解明できるか否かの
博打を持ち出されたら
できないほうに有り金すべてをかけるかもしれない
――次元が違うのさ
一次元のものを認識できるのは二次元の存在
二次元を認識できるのは三次元
三次元を認識できるのは…… てな具合
おれたちがいるのは色・時・意の三大要素の世界さ
そこで集められるデータを読み取れる存在となれば
少なくとももう一つ以上の要素を
兼ね備えたものだろう
色・時・意の要素の意味さえ
完全に掴んでいないおれたちに
推論はできたとしても
実証なんてできるわけがない――
死後の世界
なによりも 死後に別の世界があるのかどうか
このあたりから考えないといけないんだろうね
なんといっても
データを読み取る相手について考えるなんて
あきらかな時間の無駄
エオの言っている通り
ぼくたちの枠を超えているもんね
仮説はいくらでも立てられるけど
実証のしようがないとは的確な表現だよ
『散歩』では死後の世界については
書かれていない
あえて触れていると言えば
意が砂時計のように動くことによって
『時』『色』を観測している
ってことぐらいだよね
そして ぼくたちの世界にあるのは
砂時計は上の部分だけ
本物の砂時計なら
上の部分の砂が落ちていって
下の部分にたまるよね
そこの部分(下の部分だね)は
この世界には無いってことなんだ
はっきりとは書かれていないけど
次元が違うってことなんだろうと思うよ
そこから考えると
死後の世界っていうのは
この世界には無いってことになる
もしかすれば別の次元の世界には
(ってものがあるとしてだけど)
存在するかもしれないけど
それはぼくたちからすれば
無いってことに等しいんじゃないかな
それでも 死後の世界っていうのは
ぼくたちにとって最大の疑問であって
関心事なんだよね
人は 死んだら どうなるの?
死んだ後 我々の意識はどうなるの?
死後の世界はあるの?
死後の世界があるならば それはどんな所?
ってね
死後の世界への探究
死ってものを研究している方向には
大体3つの観点があると思うんだ
一つは宗教・一部の哲学の観点
一つは科学的観点
そして医学的観点だね
一番メジャーなのが
宗教かもしれない
哲学や科学(特に物理学)は
現生の人間ってものが研究対象だから
死後の世界ってものにはあまり
力を注いでいないんじゃないかな
あえて言うならば生物学が多少なりとも絡んでくるかも
それでも 科学はこの『世界』
それも人間に絡んだ世界の探究が基本だから
結論としては死後の世界ってものを
否定しちゃうのは仕方が無いんだ
ぼくたちの意識ってものは
科学的には肉体の一部である
脳の活動でしかないってことになるでしょ
その肉体が生命活動を終わらせるんだもの
脳の機能も停止しちゃうよね
脳の機能が停止するってことは
意識は当然なくなっちゃう
要は『無』になっちゃうってことになるはずだよね
もう一つあるのが 医学の観点かな
もっとも医学っていうのも科学の一分野
生きている人間にスポットが当たってるのは
当然のことだね
そのなかで幾分かでも
死後の世界に触れているのは
臨死体験の研究かもしれない
この臨死体験ってものは ぼくにとっては
どうにも眉唾物なんだ
なんといっても臨死体験を語るってことは
死んじゃいないじゃない
と いうことは
生の崖っぷちまで行って
戻って来たみたいなもんだよね
万が一 そこで谷底の景色を見たとしても
それは『真実』だったとしても
『事実』じゃないんだから