散歩の世界

散歩の途中
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色と時

いちいち「散歩の途中」って書くのも手間だね

ひとまず『散歩』ってことで略してしまおう

宇宙(世界)も 大体同じ意味だから

『世界』で統一しようか

で 世界は色と時で構成されている っていうのは

判断しようもないからいったん受け入れておこう

では なぜ色と時が存在しているのか? 

どうも 『散歩』の中での説明では

世界って言うのはイレギュラーな存在だから

というニュアンス

だから そのイレギュラーの訂正の為に

色と時は消滅することを目的として動いている

そういう説明になっているみたい

前のメモの書きおこしでも書いたし

じぶんでもよく理解は出来ていないんだけど

メモの走り書きを参考にもう一度書いてみるよ

色と時 コピペ

――星ってのは物質の固まり 

それだけだったらただのモノさ

おまえたちの中で一番しっくりくる言葉でいえば

『色』ってやつだろうな

この世界 物質と時間が主役だと思ってくれ

いわく 『色』と『時』の二つがたがいに

シノギを削っている と考えてくれればいい

実際に感じられるものは モノだろ? 

そりゃ見えなかったり 聞こえなかったり

感じられないものもあるかもしれないが

そこにあるかないかだけが世の中さ

ただ 問題が一つ

完全に停止しているものを感じることはできない

ようするに動いているからこそ初めて

モノは存在できる――

――モノが在るためには時間の流れが必要

時間が流れるためにはモノが在ることが必要

お互いがお互いを必要としている 

そう ふたつがそろって

初めて在ることできるってわけだ

モノっていうと

どうしてもおまえらは

何かの固まりを思ってしまうだろう

だが 目に見えたり知覚出来るものだけがモノじゃない

だから モノが在ること

極端にいえば無いことも含めて

総称を『色』

時の流れの総称を

『時』と呼ぶのがわかりやすい――

――『色』と『時』は

お互いが無いと在ることができない

じゃあ『色』と『時』はなぜ在るのか? 

消えるためさ

時は拡散し続けることによって

色は収縮し続けることによって

消滅しようとしている

矛盾だよな

消滅するためには在らなけりゃならない――

『時』と『色』が消滅するために在るっていうのは

これもなんの実証もない『仮説』だけどね

今のところは深く突っ込むことはやめておこう

その消滅の為に必要とされることが

続いて記されている

――色も時もお互いが無いと在ることができない

と同時に 消滅へ向かうためには

存在することが必要になってくる――

これが三つ巴のキモだね

――『存在』と『在る』の違いはわかるかい? 

在るはそのまま ただ在るだけ

その在ることを認識された時に

はじめて存在するってことになる

在るってことを認識するものが必要になってくるのさ――

認識っていうのはぼくたち人間で言うなら

『観測(知覚)』から派生する事象の本質・意義を

理解することなんだと思うよ

どうしても 認識なんて小難しい言葉を使うと

ぼくたちとかそれに近い高等生物を

(犬や猫だって認識しているはずだから)

思い浮かべちゃうけど

もっと単純なものでも知覚から何らかの判断をすれば

『認識』と言えるのかもしれないね

だけど この『認識』

量子論の考え方に近くないかな?

量子論では観測して初めて実体が確定する

なんて言い方をするけど

観測(知覚)はただの情報なんだから

その情報を取得する いわく認識して初めて

実体が確定する って言ったほうが正確だと思うんだ

もっとも この量子論の考え方も

それほど目新しい考えかたってわけでもないみたい

古代ギリシャ哲学でも

人が認識して初めてモノは存在するという

考えかたはあったみたいだし

東洋哲学 特に仏教関連の哲学では

感じる(認識する)ということに

そうとうな比重が置かれていたもんね

認識するものが無ければ 存在は無い

考えてみたら当然のことなのかもしれないんだ

ただ 『散歩』で語られている

認識するものっていうのが

必ずしも人間を指していないってところは

おもしろい

人間どころか高等生物でもないってこと

もっといえば生物である必要もないみたい

『色』と『時』のあるところには

必ずそれを認識するための

『意』があるってことになっているんだよね

色・時・意

とにかく世界は

時と色で構成されている

そして 時と色を存在と成立させるためには

意というものが必要だってことを

『散歩』の初期ではだらだら書いているんだ

世界は本来はシンプルな構造だってことだね

なぜかイレギュラーで出来てしまった時と色が

また『無』の状態に戻るために動いている

世界というのはそれだけのことだよ って

主役は時と色 意はただの観客

そういう比喩は当然のことみたい

ただ 問題は

その三つの要素が均一化して動いてくれないってこと

どうやら時はある程度一定の動きをするらしい

ぼくたちから見れば

時間なんて常に一定に動いているように思えるけど

相対論なんかを考えてみれば

一概にそうとは言えないところもあるかもしれない

色に関して言えば

時に比べるとそうとうわがままな動きをするんだそうだ

たしかに物を密度の違いなんかで考えると

ぼくらにもわかるぐらい歪な分布をしているのかもしれないけど

それでも 意のわがままさに比べると

かわいいもの ってことらしい

意はわがままどころか

まるで他人のことには意識を向けない ってこと

世界はシンプルな構造 のはずなんだけど

この三者の不協和音っていうのが

世界をややこしくしちゃっている ってことかな

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