人間とその他を分けるもの
人間の理性の特性として
観念の記号化ってものが
あるからだ っていうのは
納得できそうな気がしないかな
それぐらいしか人間と他の生物とを
区分けする方法っていうのは
思いつかないもの
だけど記号だけで
すべてが説明できるのか?
と 言われると
すこし首をかしげたくなるよね
記号の最たるものとして
『言葉』っていうのあると思うんだ
だとすると
『言葉』を狭く考えて
自然言語ってことにしてみたら
自然言語の違いがある人間の間での
理性ってものが
違うってことになるのかもしれないじゃない
日本語を使う日本人と
英語を使うアメリカ人
アフリカーンス語を使う南アフリカ人
黄・白・黒
それぞれの民族によって
理性って違うんだろうか?
もっと極端なことを言えば
生まれも育ちもアメリカの
人種として日本人(モンゴロイド) っていうのは
ぼくたちと理性が違うのかな?
そう考えると 言語以外に
もともと人間に備わっている『なにか』
がある ような気もするんだ
人間と犬・猫の
理性が違っているっていうのは
なんとなく納得できるよね
生物が進化をした結果
外見の違いが出来ている
っていうのはわかるんだ
外見の違いは
適者生存からその形質を
手に入れたってことだからね
その形質の違いによって
それぞれの生き物たちの理性が
その種特有のものになっているってのも
わかる
それこそ個性って呼べるものだろうから
でも 黒猫と白猫に
理性の違いがあるとは
思えないんだよな
生物として
脈々と受け継がれてきた個性と
種としての個性
それって人間にも当然
あるとは思うんだ
ただ それが人種や肌の色の違いで
それほど差異が出るとは
考えにくいけどね
ぼく<人間<人類<生物
って考えるとしようよ
そうなると 種(人類ってこと)としての個性を考える前に
生物として脈々と受け継がれてきた個性
ってものを考えたほうがいいのかもしれない
今はどうなのかは知らないけど
ぼくの子供の頃には
生物の三大本能として
「食欲・性欲・睡眠欲」
っていうのを習ったけど
この本能っていうのが
生物の個性ってものかもしれないね
でも、『本能』ってなんだろう?
本能ってなに?
調子に乗って
書いちゃったけど
分かっているつもりだった
『本能』ってものは
じつはややこしいんだね
さっき書いた三大本能だって
今じゃ言わないらしいんだから
困ったもんだ
三大本能じゃなくって
三大欲求なんだそうだよ
どうやら
『本能』って言葉自体が
今じゃあまり使われていないって
ことらしいんだよな
理由としては
いくつか考えられているけど
世界的に起こった人種による優生学を
否定しようって動。
(いまはやりのsdgsやlgbtもそうだね)
次にこれもはやりの『空白の石版説』
の流行かな
空白の石版説って
カッコいいから書いてみたけど
要は生まれた時は『白紙状態』だよ
ってことだね
その後の教育で人は
出来上がっているんだという
『氏より育ち』という
経験論の発展形みたいなもの
人間生まれたときは
真っ白な石版だけど
経験を積んで
色々な模様の描かれた石版になるんだよって
考えかた
経験論の発展形というより
基礎付け主義(合理主義)の
理性万能論と
経験主義の融合ってことなのかもしれない
認識は直感で得られる と 主張する
直感主義や神秘主義が
廃れちゃったってことじゃないかな
もっとも なにより
『本能』って言葉が使われなくなった原因は
『本能』って言葉が
あまりにも多方面で使われてしまって
意味がぼやけちゃった
ってことらしいんだ
じゃあ ぼくの思っている
『本能』ってのは
なんと言えば良いんだろう?
心理学・脳科学・医学・認知科学
その他諸々の分野で
その呼び方は使い分けられている
ってことみたいだけど
その中でも心理学や哲学で
多く使われているのは
『情動』とか『生得的モジュール』
って言葉らしいんだ
情動
情動っていうのは
心理学でよく使われるんだけど
怒り・恐れ・喜び・悲しみなんかの
短期間に 尚且つ急速に起きる感情の
動きのことだそうだ
『興奮』っていうのが
源泉ってことなんだけど
『不安』とか『快・不快』なんていうのも
情動とする場合があるってことらしい
言葉の使い方は違うけど
理性の検証で書いていた
理性がもたらす『観念』の中の
自動制御装置の部分の
ことなんだと思うんだ
でも 感情の動きって
そう簡単に分類できるもんじゃないよね
(特に人間の感情なんてわけわかんないし)
ただ 本能的欲求
(食欲とか性欲だね)
に関わる感情っていうのと
尊厳とか慈しみなんていう
生きるのに関係のない感情
っていうのには
大別できるんじゃないか って
説はあるんだよ
とくに 医学や脳科学の用語としては
『情動』っていうのを
前者の感情を指すものってことに
なっているんだそうだ
そう考えると
ぼくの考える『本能』ってものは
この『情動』ってものかもしれないね
ここまで書いたから
一応『情動』の仕組みって言われるものを
書いておくよ
『情動』を構成するのは
『快情動』と『不快情動』
なんだって
食料を得るなんて行動(接近行動)は
快情動によって
敵なんかと戦ったり逃げたり(攻撃行動・回避行動)
なんていうのは
不快情動によって引き起こされる
ってことにされているようだね
とにかくこの『情動』
生物が生存するための
重大な要素ってことらしいんだ
生得的モジュール
『生得的モジュール』っていうのが
正しい言葉の使い方なのかどうかには
すこし疑問はあるけど
『本能』ってものを表すのには
いいかもしれないと思うよ
心のモジュール性って
呼ばれる場合もあるけど
生物の中にある理性の特定の働き方を
表す言葉として『モジュール』
っていうのは言いえて妙だと思うんだ
モジュールって考えかたは
人間と動物が違うところを
言語(記号)だとする感覚と
人間は特殊な存在だという考えかたを
なんとか融合させているもんね
モジュールっていうのは
もともと工学なんかの
(現在だったらIT用語って言ったほうがわかりやすいかも)
設計段階で使われる考えかたなんだけど
『部品』って言い換えてもいいかも
それ単独でもなんとなく意味はあるけど
他のいくつかの部品と集まって
はじめてあるひとつの機能を持った
集合体になる
って考えかたのことなんだ
原子が集まって分子を作る
みたいなものかな
モノを細分化していった時に
本来のモノの性質を
最後までとどめているのは分子
原子にまで分解していくと
元の性質が留まっているとは
言い難いもんね
心のモジュール性っていうのは
生物の理性の中に生得的に
いくつかの特定の機能を果たすためのものがあって
それがそれぞれの生物で外観と同じように
独特の進化をしていっている
って考えかたらしい
もとは 人間がなぜ言語ってものを発達させたのか
という問いに対する答えとして
生物の中の『言語獲得装置』という
部品(モジュール)が
人間の中で他を圧して進化発達した
結果じゃないかってところから
きているみたいだね
固有名詞の発達より
文法の発達が差異を生んでいる
って言われているみたいだけど