量子って何だろう?

雑学を収集しようじゃないか雑学
スポンサーリンク

また戻っちゃう粒子と波動

モノを細かくしていくと

ぼくたちの考える粒子

ってものだけの捉え方じゃ

理解できないってことが

分かっちゃった

そこのところは

なんとなく理解できたような

気がするんだ

だから『量子』なんて

新しい定義を持ち出したんだよね

モノの最小単位(と考えられたもの)が

粒子性と波動性を併せ持つ

ってことにしないと

その振る舞いが説明できない

だから このややこしい『併せ持ち』を

むりやり定義したような

気がしてならないけど

以前にぼくが思い付きで書いた

モノの最小単位は

粒子じゃなくて

ただの『波』だってことにすれば

このわけのわからない

『併せ持ち』問題が

解決するんじゃないか って

考えかたは

「でも 電子って実在だよね」って

反論で簡単に崩されたけど

ぼくの考え付くようなことなんか

とっくの昔に

考えられていたんだね

当初シュレティンガーさんが

波動方程式を発表したときに

シュレティンガーさんの頭の中には

電子が雲みたいに広がっていて

その密度が波動関数で

導き出されるって

考えていたみたい

シュレティンガーさんからすれば

ド・ブロイさんの

物質波を導き出そうとしていたわけだから

当然の結論

だけど 実験結果が

電子はどのように観測しても

粒子として観測されて

雲みたいに広がっていることは無いって

結論が出ちゃった

そしてボルンさんが

波動関数の示すものは

電子の存在確率で

あくまでも電子は粒子である

って結論付けたってことなんだ

現状では量子力学の考え方は

粒子はあくまで粒子であって

波動関数は粒子の

統計的振る舞いを

示すものだってことで

落ち着いているみたい

解決できない問題

量子は粒子(モノ)である

この結論は その当時に

わかっていることを

なんとかつなぎ合わせようとすると

そうなっちゃうだけなんだ

だけど そうなると

量子の確率解釈が

粒子の確率解釈になっちゃう

そして粒子の存在が

確率でしか表せないってことは

古典物理学と

真っ向からぶつかっちゃうんだね

もともと量子力学は

古典力学も内包させる

新しい理論を構築するという

前提で考えを進めていったはずなんだ

ド・ブロイさんの『物質波』にしても

シュレティンガーさんの『波動関数』にしても

古典力学を崩さない

と いうことを

大切にしていたんだよ

ところが 理論を推し進めていく間に

どうしても古典力学と

対立しちゃうようになっちゃった

特に『コペンハーゲン解釈』を

徴用しちゃうと

これまでの物理学の根底だった

『因果関係』を

否定せざるを得なくなる事態に

陥っちゃったわけだ

そんな無茶なことをするから

古典力学との整合性を持たせるための

理論展開が

コペンハーゲン解釈の

軸とされている

ボーアさんとハイゼンベルグさんとでも

意見の不一致が出ることになっちゃったんだね

と いうより

ハイゼンベルグさんが提唱した

『波動関数の収縮』という考えかたに

ボーアさんが必ずしも

賛同していなかった

ってことなんだと思うけどな

波動関数の収縮

『波動関数の収縮』または

『波動関数の崩壊』って

名前を聞くとカッコいい言葉に

聞こえるね

ただし それがなにを意味するのか

物理的なメカニズムの

裏付けがあるのかってことになると

怪しいみたいだけど

波動関数もそうだけど

量子力学では『数学』に裏打ちされた

理論が先行しちゃってるんだよな

数学はその組み立てが正しければ

全体像が正しいっていう

確かによくできた言語なんだけど

それの意味するところが

わからない場合が多いのが

難点なんだよね

絶対値の二乗が

粒子の存在確率を表すっていう

波動関数(シュレティンガー方程式)は

一見古典力学とぶつかるように見えるけど

関数自体は連続した時間に伴って

変化をしていくという

因果律を踏まえたものなんだ

ただ 実際にモノを観測すると

それは一点に観測されるじゃない

波動関数で導き出される

確率で表せられる状態っていうのは

粒子の状態との重ね合わせ

それが観測すると

一点で見つけることができるという

不可解な現象に整合性をもたらす

そのために作り出された理論が

波動関数の収縮

ってことみたいなんだ

後にフォン・ノイマンさんが

この波動関数の収縮をも含めて

整理した量子力学では

量子は測定していないときには

時間経過に伴った

連続してなおかつ可逆的な

変化をするが

(シュレティンガー方程式に

従うってことだね)

観測されたときには

不連続で不可逆的な

存在として現れるという

『射影仮説』っていうものを

導入してなんとか

つじつまを合わせたんだけどね

この射影仮説(射影公準)が

どういったものなのかは

気になった人は

調べてみてほしい

ぼくが書くと

そうとう歪なものになりそうなんだ

と いうよりも

明確な定義が無いかも

しれないんだよね

あくまでも数学上

正しいとはされるんだけど

物理学の世界に持ち込んで

良いのかどうかは

ぼくには何とも言えないんだ

ただこの波束の収縮や

射影仮説は

一つの大きな問題を

提起しちゃったんだよ

量子の世界における

観測ってなにか? という

タイトルとURLをコピーしました