単純な図式
量子力学を調べていくとぶつかるのが解釈問題
正確じゃないけど簡単に書くと
観測前の量子の位置・運動量は波動関数に準じている
そうかしこまらなくても
観測前の量子は確率でしか表せない ってこと
観測した時点では
量子は粒子としてその位置・運動量は一点で確定する
これも単純に言えば
量子も観測すれば
一般の粒子と同じだよ ってこと
この2点は今のところ認められているんだ
ある意味
物理vs数学の構図かな
なんと言ってもこの二つは矛盾しちゃうもんね
量子が波動関数に準じるってことは
量子は確率によって表せられる状態のもの
そういうことになる
そしてその状態は時間経過と共に変化していく
ただ そこには因果関係が認められるんだ
「物理系の時間発展は決定論的かつ可逆である」
なんて業界では言われているみたいだけど
だけど観測した時点で粒子は量子として
固定の値をとってしまう ということは
因果関係で考えると
それ以前の粒子は最低2つ以上の
幾つかの状態が重ねあわされたものだった
そういうことにしないと説明がつかないんだよ
例の死んだ猫と生きている猫が
重ねあわされて存在しているなんて
変な話が出て来ちゃう所以だね
量子力学の問題点は結局2つだけ
物質をとことん細かくした先にあるのは
単純に粒子(物)なのか
それともぼくたち人間には認識できない
『なにか』なのか っていうのが一つ
もう一つがぼくたち人間が観測すると
粒子(物)として観測できるのに
量子を粒子だと断定すると
これまで築きあげて来た力学(因果関係)だと
矛盾が起きるのはなぜか
ここが最大のネックなんだろうね
人間と観測 Ⅰ
前にも書いたけど解答としては2種類ある
物をとことん細かくしていった先の量子は
粒子ではなく『なにか』だって説
もう一つ細かくしていった先はやはり粒子
だからこれまでの力学(因果関係)には
未だ解明されていない別のファクターが
あるんじゃないか って説
今のところ前者の説が優勢だから
量子力学で確率解釈が
主流を占めている ってこと
ただ 物を細分していった先に在るものが
『なにか』だとすると
『なにか』が積み重なって出来上がった物は
ぼくたちが考えている物とは違うんじゃないか?
そう これまで築き上げられてきた
すべての自然科学の前提が
覆っちゃうことになる可能性があるんだ
では 物を細分化していった先に在るものは
やはり物(粒子)だとしようよ
そうするとせっかく導き出した量子は
確率で存在するという物質波を組み込んだ理論が
崩壊しちゃうことになる
この物質波を組み込んだ理論は
どうやら正しいんじゃないか というのが
現在のところの定説だね
ある意味物理学得意の『仮説』ってこと
ではこの矛盾を解くためには
どうすればいいのか というのが問題
『人』が『観測』すると『量子』は『粒子』として
測定されるというところが解決できればいいわけ
まず 観測することによって
正しい結果が得られるとしよう
だとすれば 量子は粒子なわけだ
では なぜ量子は確率で存在するなんて結論が出るのか
ぼくたちの理解できる因果関係より
複雑な因果関係が構築されているという
可能性はあるよね
量子が確率で存在しているってことは
粒子の動きがぼくたちの感覚より
複雑な動きをしているということ
このことが力学上のファクター『X』に
なるのかどうかは知らないけど
一つの考え方だね
パイロット解釈やランダムウォークなんかがそうかな
特にランダムウォークは
観測以降の量子の動きを推測するのには
使いやすいみたい
ある意味 実践的な理論って感じかもしれない
次に量子はあくまでも確率というか
波みたいな状態の物で
粒子としての実体は無いんだと考えてみるよ
そんな実態が無いものが観測すれば
実体を持っちゃうのはなぜ? って
疑問が出るよね
波の性質として幾種の波でも
重ね合わせると一点に
集中させることができるってことがわかっている
そこで出て来たのが波束の収縮ってもの
確率解釈(コペンハーゲン解釈)だと
観測した瞬間に波(確率)であるはずの量子が
一点に収縮してそれが粒子として観測される
そういった解説をしているんだ
その発展形にあるのが
客観的収縮理論ってやつなのかもしれない
コペンハーゲン解釈だと
量子は観測されることによって一点に収縮される
だけど波動関数の収縮は観測とは無関係だという意見だね
量子の世界では人間が観測しなくても
波動関数の収斂はおきてるんだよ ってこと
その収斂がランダムだという説や
ペンローズ解釈みたいに重力によるもの
なんて諸説あるけど
この解釈ならいつか実験で検証できるかもしれないから
夢があるのかもしれない
まあ どちらにしても
無理やり説明している感は拭えないんだけど
素直に納得できるかどうかは疑問が残っちゃうんだよね
人間と観測 Ⅱ
「私が見ていなくても月は確かにある」
「神はサイコロを振らない」
どちらもアインシュタインさんの有名な言葉
「私は人間を越えた客観性が存在すると信じています」
これもアインシュタインさんが
タゴールさんとの対談で語った言葉
アインシュタインさんは
人間の意志や観測というものが無くても
客観的事実は確固として存在するという
信念を持っていたんだろうな
自然科学者としては当然のスタンス
だからアインシュタインさんは
観測(量子が一点で確定される)と
理論(量子は確率でしか存在しない)の間にある
矛盾を解明するための
新しい理論建てを主張したんだと思うんだ
相対論 特に特殊相対性理論なんかは
顕著な例だね
宇宙には絶対静止系は無いとして
それぞれの動きの間にある相対速度というか相対関係を
導き出そうとして理論構築をしたのだから
相対関係さえわかれば
たとえ慣性系にいる自分を中心として考えても
他との関係性は掴める
量子力学はどうだろう
観測を人間がする
その人間は絶対静止系にいるのか慣性系にいるのか
言い換えれば
人間は波動関数から離れた存在なのか
人間も波動関数に従った存在なのか
その問題が出て来ちゃうんだよね
人間も量子や宇宙の一部と考えるか
量子や宇宙を俯瞰してみている存在なのか
そういったプリミティブな問題が観測行為には残っちゃうんだ
相対論はまだ良かった
なんといっても取っ掛かりに光速度不変ってものがあったんだから
波動関数の世界に
絶対的尺度ってものがあるんだろうか?

