進化から見る生物学

雑学を収集しようじゃないか雑学
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人間も生物の一つ

生物を語るときにどうしても

『弱肉強食』とか

『闘争と逃走』

なんて感覚で捉えるときが

多いと思うんだ

それに対して

人間は理性で

その動物としての本能を

押さえられる

特別な存在だと

ぼくもそうだけど

やはり『人間』っていうものを

特別な存在だ

としたいって気持ちは

わからなくはないよね

心理学の論争の

『氏育ち』にしても

どうしても『育ち』の方に

(努力かな?)

重きを置きたい気持ち

って言うのも

わかるように思うんだ

だけど 

遺伝子が利己的である

とすると

どうもそのあたりが

おかしくなってくるんだよ

人間が合理的(理性的)

だとする考え方が

ただ遺伝子の

利己的生存戦略だってことで

説明が付いちゃう

かもしれないんだから

人間が特殊なものであるかどうかは

自然科学ではあまり意味がない

と 思っていいのかもしれない

それを考えだすと

人類という種 

人種という分類 

国民という棲み分け 

もっと極端に言えば

個と集団の問題にまで

ぶち当たっちゃうからね

ハイデカーさんじゃないけど

『存在者』と『現存在』

ってところまで追求していくと

たぶん自然科学という学問の範疇では

測れないものに

なっちゃいそうだもの

生物学(自然科学)としては

人間っていうものを

特別なものとして扱うより

人間は生物の中での

特殊解であるとした方が

研究はしやすいと思うな

社会生物学

血縁淘汰説も

ESS理論も

これまで書いてきた

進化と生物の関係の学問では

『行動生態学』って名称で

括って来たけど

もともとは

『社会生物学』

って名称が

使われていたそうなんだ

生物の持つ

利己性と利他性

これらはあくまでも

社会生活を送る

『生物』の行動や遺伝子の

研究なんだから

『社会生物学』っていうのは

正しい呼称だよね

この研究が

昆虫や魚 

鳥 

哺乳類などという

多くの動物の行動に

光を与えるってってところまでは

良かったんだと思う

だけど 社会生活を送る生物となると

当然「では 人間は?」

という素朴な問いが

出てきちゃうんだ

特に ESS理論での

ゲームの理論の応用は

生物学に新しい道筋を見出した

ってことで

素晴らしい理論建て

だったんだ

だけど ゲームの理論は

人間の合理性を前提に

組み立てられた理論なんだよね

その理論を人間のような合理性を

持たない動物の

(物を考えないかな?)

行動パターンにも適用できるってことは

人間も所詮生物の延長線上の

存在であって

特別なものじゃないってことを

突き付けられたように捉える

研究者も多かったみたいなんだ

生物学での

『社会生物学』の理論が

人間にも適当できるのか

それとも

『社会生物学』では

人間の行動は

解き明かされることは無いのか

って論争が巻き起こったんだね

この論争は

『社会生物学論争』

なんて言われているんだ

おもしろいのは

もともと心理学が

『氏育ち』論争の解決策を

求めてラブコールしたことによって

スタートしたはずの社会生物学に

一番反発したのが心理学者たちだった

という皮肉な結果を

生んだってことかな

この論争 

現在では人間の行動や心理 

社会 経済にも

社会生物学や行動生態学の理論が

有効だってことが

多くの実証データによって

証明されて来ているんだ

人間学 心理学の方でも

人間行動生態学とか

進化心理学なんて

研究分野が出来ている

だから なんとか決着がついた

そうも思えるんだけど

なんといっても

人間が特別な存在だというバイアスは

根深いんだよね

未だに

『社会生物学』という名称を嫌がって

『行動生態学』と名乗る研究者も

多いみたいだもの

科学から少し離れてみよう

科学っていうものが 

根本に『人間』っていうものを

置くことによって

進んできたってことは

疑いが無い

物理学や哲学で言われる

「人間が認識できる……」

という前置きが

なによりも

物語っていると思うものね

科学を名乗るためには

今はやりの言葉だと

『エビデンス』

証拠とか実証データが

必要になってくる

個人がじぶんの中でだけ

納得するんじゃなくて

一応全人類に

納得のできそうな

仮説を立てるためには

避けられない障壁だね

ぼくの基本に

戻ってみるよ

ぼくが知りたいのは

『ぼくって何?』

ってことなんだ

ハイデカーさん流に言うならば

『現存在としてのぼく』

ってことだね

ぼくを知るためには

これでも人間の

端くれだと思うから

『人間』ってものを

知る必要があるんじゃないか

ってところで

『哲学』へ

そして 人間ってものを

定義付けるために

『生物学』に

迷い込んだだけなんだ

迷い込んでは見たものの

生物学の方面からは

人間ってものが

生物の中で

特別なものだという

実証データは

出てこなかったみたい

と すれば

人間が生物の中で

特別なものという考え方は

すこし保留しておいた方が

良いのかもしれない

そうなれば

人間が生物相の中で

特別な存在じゃないとしても

『ぼく』が生物相 

もっと言えば

周りの世界 宇宙全体から見て

『特別な存在』ってところに

焦点を当てるしかないんだろうな

そして そのことを

実証するためには

『科学』

特に『自然科学』の

これまでに出ている

正しいとされる『仮定』を無視する。

それしかないのかもしれないんだ

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