特殊相対性理論

雑学

一般相対性理論を振り返る前に

もともと自然科学 特に物理学は経験則(実際に観測された事態)を論理則(根本原理の解明)に落とし込むことが目標とされているのかも。実験観測にはその時代での器具の制約が 解明には検証の必要と過去の常識からの脱却が。経験則と論理則のいたちごっこが科学史なのかもしれない。現代は論理則先行の時代。経験則はいつ追いつくんだろう。
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ちょっと休憩

質量とエネルギーの等価性。わかったような気にはさせてくれるが素人に理解できるほど単純なものじゃない。E=mc2は理論の実験的検証が行われているから否定はできないのだろうが腑に落ちるというところはいかないのかもしれない。エネルギー単体の存在はあるのだろうか? 光子に質量はあるのだろうか? だとすると光速度一定の法則とは?
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頭を整理してみよう

エネルギーとは仕事を成す能力。問題は仕事とはなにか? そして力とは? 力学の世界では質量と力だけで事足りる。様々な対象の変化まで力に含めるべきなのか。そこで考案されたのがエネルギーという言葉。だが力(フォース)という概念はアリストテレスの『現実態』から来ているとされる だとすると全ての変化に対応するはずなのだが。
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質量とエネルギー

エネルギー保存則 自然科学特に熱力学では基本とされている法則。エネルギーの定義が多種にわたって変換比率が難しくなったが現在のところ齟齬が起きないように設定されている。もっともこの法則を支えているのは経験則 論理則じゃない。そこに持ち込まれた質量とエネルギーの等価性という論理則。その扱いには困ったんじゃないだろうか。
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まだ続く 質量とエネルギーの等価性

エネルギーという考えかたは解釈の仕方によって種々の捉え方が出来る気がする。力学的な運動エネルギーの解釈は理解しやすいが問題はエネルギーというものがその形式を変えるという部分。各エネルギーはどのような形式で変換されるのか その変換係数はどうなるのか そこに当てはめられるエネルギー保存則はどうなるのか。疑問は尽きない。
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質量とエネルギーの等価性 Ⅴ

E=mc2を書こうとするためにはE m cの表すものの意味が分からないとどうしようもない。Eはエネルギー mは質量 cは光速 あまりにも当たり前のことのように言われる。でも エネルギーとはなにか 質量とはなにかと問われて明確な返答が出来るかと言われればぼくには自信が無い。かろうじてcは光速のことだよとは言えそうだけど。
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質量とエネルギーの等価性 Ⅳ

物理学が数学という言語で表現 実験・観測では追えないものを考察するためには不可欠。古代の哲学が自然言語で思考実験をしたように数学での思考実験ということ。もちろん数学という言語の方が自然言語より不確実さの少ない結論を出せるのは当然。そしてそこに出てくる結論は常識に捉われているものには理解しにくいものになる可能性がある。
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質量とエネルギーの等価性 Ⅲ

物理学というものは本来地道な実験と観測によって成り立つとは言え これまでも実験観測先行の時代 思考実験先行の時代と繰り返されている。現時点での物理学は思考実験先行の時代かもしれない。思考実験先行の時代では論理という言葉遊びが横行してしまう。だから現在の物理学は数学という言語の言葉遊びかもしれない。たぶん怒られるけど。
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質量とエネルギーの等価性 Ⅱ

言葉でなんとなく他人を丸め込む ってことはよくあるはなし。丸め込むと書くと騙すような感覚を受けるが 論理の積み上げ次第によっては真理に近づける かもしれない。そしておなじ言語としての数学というものはより論理的に整合性がある。だからそこで紡がれる物語はへたに常識という偏見を纏った物語より信憑性があるのかもしれない。
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質量とエネルギーの等価性 Ⅰ

ローレンツ変換を紐解くと不可解な解が出てくる。そのひとつが質量とエネルギーの等価性。違う速度の慣性系の間では物理量の計測値をそれぞれの慣性系の数値に翻訳する必要があるのは仕方が無いこと。ただエネルギー保存則からしてそれぞれの慣性系によってエネルギーに対して違う数値が出るようでは困る。そこで必要とされるのが不変量。
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