不確定性原理

雑学

誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる

アインシュタインさんが言ったとされる「私が見ていなくても 月はそこにあるはずだ」って言葉があるんだけど量子力学(確率解釈)の観測するまで量子は状態の重ね併せでしかないという考え方に異議を唱えた言葉だね。この観測という問題 哲学の世界でははるか昔から議論されている問題なんだ。知覚されていない観念は存在するのか? ってね。
雑学

観測

量子力学では量子の位置・運動量は確率でしか表せないってことになっているらしいんだ。ところが量子は観測された瞬間に粒子としてその位置・運動量が決まっちゃう。この矛盾をなんとかするために波束の収縮や射影仮説なんて『仮説』が立てられたわけなんだけど、根本的なところの疑問が解決しないんだよね。『観測』とはなにかという。
雑学

量子って何だろう?

物理学が『哲学』寄りになってしまったかも。もともとの哲学って言う意味じゃないよ。言葉を紡いで真理に近づこうとする方法論という感じ。量子力学や近年の物理学は自然言語に変わって『数学』という新しい言語で構成されているんだね。数学は完成形に近い言語だけどあくまでも『言語』。物理学の世界を言葉で語っていいものなのかな?
スポンサーリンク
雑学

確率解釈(コペンハーゲン解釈)

量子力学を学ぼうとしている人たちにとっては確率解釈が量子力学の基礎として出てくるみたいなんだ。でも この確率解釈っていうのはどこまで正しいんだろう? これまでの古典物理や相対論にしても基礎となる『前提』(あくまでもその時点で正しいとされる仮説)があったじゃない。でも 確率解釈に前提となる仮説があるんだろうか?
雑学

量子論

量子の粒子性と波動性の併せ持ちという考えは古典物理学とは相性が悪いんだよね。だけどそう考えないとつじつまが合わなくなる実験・観測結果が出て来たんだ。もともと物理学は仮定の学問 本来なら元の古典力学を修正するのが正道なんだけどあまりに古典物理学が完成し過ぎていたんだよね。だから『量子』なんて苦肉の策が出たんじゃないかな。
雑学

量子って? Ⅱ

量子と粒子。似たような単語だけど使い分けが難しそう。そしてそこの使い分けができないと量子力学の波動性と粒子性の共存っていうのがまるでわからなくなるんだから困ったもんだ。粒子の定義の中に「数えることができるモノ」っていうのがある。だとすると波動の収束点っていうのはモノとして数えることができるんだろうか?
雑学

量子って? Ⅰ

量子が粒か波かと考える代わりに量子もしくはモノの本質は『波』だってことにすると粒子の不確定性ってものが説明できるような気がするけど問題が一つ。宇宙には無数の波が充満しているという考え方は理解できるよね。無数の波があれば波束の収斂によってある一点に集中するってことも十分に考えられる。だけどその波束はすぐに崩れるんだよね。
雑学

波から量子論を考えてみよう

量子は粒子性と波動性を持つ。どうしてもここに引っかかっちゃうんだよね。だからなかなか先へと進めない。もし粒子というか原子を細かくしていった先にあるものが『波』だってことにしたらどうだろう。『波』は合成すればどのような形の波でも作れるらしいんだ。宇宙には無数の波があふれていてその波束がモノの最小単位だとしたらどうだろう。
雑学

いつものことでまた寄り道 Ⅵ(デジタルvsアナログ)

元来物理学を含む多くの自然科学ってものは連続性をベースに考えられている。要は原因があればそれに呼応した結果があるという一方通行の考え方だね。そこに量子力学が出てきちゃった。アナログが連続でデジタルが非連続かどうかは決めつけるのには問題があるけど物理学でもデジタルvsアナログ論争が起こったんじゃないかな。
雑学

いつものことでまた寄り道 Ⅴ(エネルギティークvsアトミスティーク)

エネルギティークvsアトミティーク論争なんてかっこいい呼ばれ方をするけどなんのことはない 昔からある連続vs不連続(アナログvsデジタル)論争ってこと。論争当時『原子』がまだ確定されていなかったって言うのはあるけど モノ(世界でも宇宙でもいいけど)ってものを考えるときにはどうしてもこの論争は避けられないんだろうね。
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました