振り返り量子力学

雑学を収集しようじゃないか雑学
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やはり量子力学の後半部分に戻ってみよう

『場』ってものを調べてみようと思ったけど

これは現在の研究の中では

仮説にさえできないほど定説が無いみたいなんだ

なんといっても物理学得意の

観測が出来ないんだから

もっとも場に限らず

最近の物理学の研究では

直接観測ではなくて間接観測が主流になっているから

仕方がないかもしれない

思索をぼくたちの持つ技術力を

大幅に超えた向こう側まで

伸ばしてしまった結果だね

どうやら思索と技術は追いかけっこをしているみたい

あるときは思いもよらない観測結果が出て

それを理論が追従する時代

またある時は理論が先行して

それをなんとか裏付けようとする時代

これまでの科学史を見てみると

そんな感じだもの

そして現代は理論先行型時代なのかもしれない

いつの日にか現在構築されている理論に

裏付けが取れるようになれば最高なんだけど

ひとまず『場』については保留にしておこう

当初の予定通り量子力学の後半に書いた部分を

もう少しだけ振り返ってみるところに

戻ってみるね

無と無限

相対性理論は身近なところからどんどん視線を拡大していって

宇宙という広大なものの仕組みに挑戦していこうとしたんだね

ある意味物理学によっての

無限への挑戦みたいなところがあったんじゃないかな

無限にも定義があるんだよ

単純なところでは「限りなく大きい数」

もうすこしカッコを付けると

「どんな数をもってきても、それよりも大きい数」

ということになるらしい

よく同じような使い方をされるものに

『無数』なんていうのがあるけれど

『無数』と『無限』はまるで別ものらしいんだ

どうやら『無数』っていうのは

数えることが不可能なくらい数が多いということ

『無限』っていうのは限りが無い ということが

確認できることが必要みたいなんだね

『無限』という考え方は

はるか昔からあったみたいだけど

『無限』を数えるなんていう

とんでもない考え方をした人がカントールさんだね

自然数のレベル0 実数のレベル1 なんて

無限をレベル分けするなんて考えたんだから

ただね 数学上では無限という概念が記述されるけど

実際のところぼくたちの感覚には

数学における無限なんて

理解できるものじゃないみたいなんだ

有限で表すことの出来る無限

限りなく無限に近い有限

その辺りが限界なんだろうね

哲学じゃないけれど本質としての存在は

けっして触れられないってこと

なんといっても人間というなんとも不完全な存在として

生を受けてしまったんだから

諦めるしかないんだと思うよ

もっとすごいのに『0』っていうのがある

自然言語で訳せば『無』ってことかもしれないけど

数学上にはあり得るかもしれないけど

現実にはぼくたちの感性では

理解できないものなんじゃないかな

限りなく0に近いとか

+と-との境界として特異点としては

捉えることができるかもしれないけど

第一『-』という概念だって

便宜上ぼくたちが使っているだけで

実際に人間の感性の中では

理解できるものじゃないような気がするんだ

もともと『0』という考え方も

昔からあったよね

何も無いってことを表す記号として使われだしたのは

バビロニアだって言われている

たとえば『101』という記号を表すのに

  1. 空白 1 すなわち1 1と書いちゃうと

1 1 なのか11なのか分かりにくいってことで

空白のところに斜線を入れたのが始まりらしい

その記号としての『0』を数字として導入したのが

インドのブラフマグプタさんだね

ブラフマグプタさんは数字を物理や幾何学みたいな

具体的なものと切り離して抽象的な量としてあつかった

最初の人じゃないかな

特異点

「数学は言語」 って

しつこいけど再度(再々 再々々……?)書いておこう

ところが物理学の理論を突き詰めていくと

どうしても言語表現(数学のだよ)でしか

表せないような事象に出会ってしまう

それだけ研究が深くなっていった

そういう楽観的な捉え方も出来るけど

言語としての数学ならそういった事象は

『特異点』として理論を発展させるために

重要な役割を担っちゃうし

その『特異点』の解析や分類は

新たな数学の発展には必要だよね

ところが物理学としては

そうも簡単な問題でもないみたい

なんと言っても特異点というのは

本来の物理法則が破綻する可能性が高いんだ

計算してみると無限なんて値が出てきたら

どう解釈していいのか分からなくなっちゃう

現実世界での物理的意味を持たない可能性だってあるしね

特異点の物理的な意味の不明確さがもたらすものに

それまでの理論の破綻や修正

そのための計算の複雑化なんてのもあるね

なにより物理学の本質

「人間の認識しうる」ってのに

反しちゃうんじゃないかな

物理学と数学

量子力学の後半部分は

あくまでもぼくの感じ方なんだけど

物理学と呼べるのかどうか疑問だね

特に解釈問題として一番人気のありそうな

コペンハーゲン解釈なんかは

どちらかと言えば数学のような気がするんだけど

特異点かどうかはわからないけど

物理的意味の不明確さを

それまでの物理理論との整合性を保つために

修正に修正を重ねて

ますます行き詰まっちゃった って

そんな感じもしないでもないよね

新しい理論が必要なのか 新しい解釈が必要なのか

もしかすると今現在でも学者さんたちは

苦労しているのかもしれないよ

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