自然選択説の疑問

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意志とはなんだ?

自然選択説では

もともと個体を単位とする意思決定が

種としての特徴を作るっていうのが

根底にあったはずなんだ

生き延びるとか

子孫を残すとかに

有利な意思決定をする個体は

当然生き延びる確率が高いだろうし

その子孫も多くなるはず

だったらその意志決定をするという

性質がどんどん積み重なって

種として現在に至るっていうのは

当然の話だよね

ところが

自分が生き延びるとか

自分の子孫を残すという

利己的な意志決定が生物の意志だとすると

問題が出てきちゃう

行動遺伝学の時に書いたけど

生物の行動の中で

けっして少なくはない頻度で出てくる

利他的行動ってものがあるんだ

利他的行動っていうのは 

自分を犠牲にして

他者を助けるという

イメージとしては

ぼくたち人間界にだけ

ありそうに思える行動だけど

じつはアリや蜂なんかの昆虫の世界や

哺乳類の世界でも

頻繁にみられるものらしいんだ

特に社会行動を形成する生物に

多く見られるんだけど 

この利他的行動は

個体を単位とする自然選択説では

説明ができなくなっちゃうんだよね

群選択説

自然選択説で一番問題になったのが

自己犠牲ってもんだってことなんだ

自然選択説は

うまく生き延びられたり

子供を多く持てる個の形質が

種の中で主流を占めていくことによって

種全体の形質が決まっていく

って考えかた

本来なら

仲間を見捨てて

自分だけは生き延びるんだという

強い意志を持ったものが

種の主形質を占めるはずなんだよ

でも 少なくない個体に

自己犠牲行動をする者がいるんだから

困っちゃたんだね

それを説明するために

いくつかの仮説が立てられた

まず 最初に出て来たのが

『群選択説』ってもの

これは 生物個体の行動は

群れや種の利益を

最大化するようにできており

生存競争は群れと群れの間で

起きるという考え方

この考えは

「種の保存のために生物は存在する」という

人間には受け入れやすい

考えだったんだね

特に 社会の権力者や組織に属する人種には

「滅私奉公」や「犠牲的精神」

宗教界では「殉教者」なんて

今でも主張する人がいるもの

だけどこの説では

自己犠牲をして

種全体の利益を図るという形質が

どうやって受け継がれるのかを

説明できない難点があるんだ

自己犠牲の形質を持つ個体は

早々に死んじゃうし

子孫も残せないものね

生物学

一言で『生物学』って言っても

生命現象の仕組みを研究したり

生命の行動を研究したりと

多方面の研究分野があるみたい

一番知りたいのは『命』ってなんだ? 

ってことなんだろうと思うけど

ぼくの調べた範囲じゃ

とてもじゃないけど

その疑問に近づけそうな研究は

無かったんだ

なんといっても

『命』を知ろうと思えば

とうぜん『死』ってものが

わからなきゃならないだろうし

現在の観測装置じゃ

『命』も『死』も

測りようがないんだよね

人が死んだという

証としての『死亡確認』にしても

今のところ便宜上

『心臓拍動停止』

『呼吸停止』

『瞳孔散大・対光反射停止』

これらの要件を満たせば

『死』とみなすってだけのことだもの

直接『命』の観測はできないけど

なんとか生命について

少しはわかっているかもしれないのが

生物の体構造の研究と

行動に関する研究なんだ

体構造については

肉体という乗り物の研究だから

今のところ調べる気にはならないな

ぼくが興味を持っているのは

乗り物に乗り込んでいる

操縦者の意思とかその構造なんだから

現在のところ操縦者本体の観測は

(魂でも精神でもいいけどさ)

ぼくたちにはできないみたいだね

だから 肉体とい乗り物の動きから

操縦者の正体を探ろうっていう

研究に期待するしかないのかも

そして操縦者の正体が現れやすい

行動っていうのが社会行動

だから行動生態学は

気になる学問なんだよね

血縁淘汰説

自己犠牲という形質が

個体の生存にとって

(生き延びる)

マイナスの因子だとしようよ

そうなると 自然選択説によって

自己犠牲って言う因子は

どんどん淘汰されていくはずなんだ

個体の意思決定が進化をもたらすという

前提条件が正しいとするよ

そうすると自己保存・種族繁栄が

生命の目標だとするのなら

生物が進化していくってことは

個体が利己的でないと

辻綱が合わないんだよね

「個体は利己的である」

と いうことを前提に入れないと

自然選択説は

崩れちゃうってことなんだ

この部分で『群選択説』は

行き詰まっちゃったんだよね

そこで発想の転換をした人が

出てくる

ハミルトンさんという

生物学者さんだよね

「個体は利己的である」

これは良しとしよう

では 『個体』とはなにを指すのか? 

ってことを考えだしたんだ

自然選択で選択されるのは

個体という単一の実体ではなく 

遺伝子のもたらす表現型

(生物の特徴や姿かたちってことかな)

ではないかという仮説を

立てたってこと

自然選択を

遺伝子というものから

見直したってことだね

利己的なのは個体じゃなくて

遺伝子だってことなんだ

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