量子って? Ⅰ

雑学を収集しようじゃないか雑学
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波の重ね合わせ

波動関数って言うと

ぼくみたいに「にわか」で物理学を

齧ろうとしているものには

シュレティンガーさんの

波動関数を考えちゃうんだけど

じっさいは波の状態を表すものとして

結構前からあるんだよね

波動方程式や波動関数っていうのは

量子力学のためにつくられたものじゃなく

量子力学が古典物理学の用語を使って

新しい考え方をしているってこと

宇宙に無数の波長の波が

充満している

そしてエネルギー障壁がないかぎり

どこまでも波は広がっていくってことは

古典物理からでも

簡単に出る結論なのかもしれない

ただ波を伝える媒質が

どうなっているのかって問題は

残っちゃうけどね

地球上でも無数の波が

満ち溢れているじゃない

電磁波って波だもんね

人類が利用している周波数の波だけじゃなく

可視光線・太陽の光etc

宇宙にだって波が充満していても

おかしくはない

ただ その波が仮に一か所に集中するような

波束を作ったとしても

一瞬だけなんだ

すぐにその波束の形は

崩れちゃうはずだよね

そんな泡みたいにはかない存在を

『モノ』って言って

いいのかな?

量子力学における粒子の位置

でも ちょっと待ってね

量子力学では粒子の位置は

確率でしか表せないってことになっている

だけどその粒子が観測されたときには

一点に観測されるってことに

なっているじゃない

観測したときに

どこに粒子がいるのかってことが

確率でしかわからないってだけで

観測できないとは言ってないもんね

ということは 観測した瞬間だけ

ある一点に波束が収斂していれば

いいってことにならないかな

もし粒子が『存在(モノ)』だとすれば

全宇宙に広がっている粒子の可能性が

観測した瞬間に一点に集中する

なんてことがあれば

相対性理論が根底から

覆っちゃうなんて

困ったことがおきるけど

(全宇宙の距離を瞬間に移動することになるんだから)

後で書こうとしていることだけど

シュレティンガーさんの猫もそうだけど

波動関数に対する解釈には

初期の量子論では『確率解釈』っていうのが

主流だったんだ

(今でも量子論を教えるときには

『確率解釈』が主流だけど)

その『確率解釈』では波動関数について

「観測する前の波動関数は

様々な状態が重なった状態を表しているが

観測の瞬間に

観測されなかった状態は全て消え失せ

観測された状態に確定する」って

説明しているんだよね

これって観測した瞬間にだけ

波束が一点に収斂しているってことと

同じことじゃないのかな

量子力学における粒子の軌道

ぼくなんかの常識では

(アインシュタインさんに言わせると

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション

のことだそうだけど)

モノってものは因果じゃないけど

今あるところから

連続した軌道上を

進んでいくってものだと

思っちゃってるんだよね

だけど どうやら量子力学では

軌道ってものの概念が

無いみたいなん

たしかにぼくがモノってものは

軌道に従って進んでいくものだっていうのは

経験上そう思っているだけで

錯覚なのかもしれない

じつは軌道なんかなくて

確率的に動いているけど

ぼくの外部観測器官では

その誤差が捉えられていないだけなのかもしれないんだ

量子力学の確率(期待値)で

表せられるモノの位置が

ぼくの感覚や古典力学の計算と

ほぼ同じだったとしたら

ひょっとしたら

観測誤差で納得しちゃうかもしれない

量子力学には『軌道』の概念が無い

って改めて言わなくても

当然かもしれないね

だって 位置が確率によってしか

決められないものに

因果の関係が当てはまるわけないもの

軌道っていうのは

因果関係のことなんだ

今の粒子の位置っていうのは

過去の粒子の位置+運動量

未来の粒子の位置っていうのは

現在の粒子の位置+運動量で

決まっていくんだから

位置も運動量も

確率でしか表せないものに

軌道なんてものがあるわけないんだよな

だとすると さっきの波束の収斂が

時間とともに崩れてしまっても

なんの問題もない

なんといっても

粒子には軌道が無いことになっているんだから

観測した瞬間に

どこかで波は収斂して

粒子の位置を表し

すぐに崩れていくけど

次また観測した時点で

収斂しちゃうってことにすれば

その収斂する位置を

確率で表すってことに

違和感はなくなるよね

宇宙全体にあるはずの粒子が

観測した一瞬で一点に移動するなんて

相対論におこられそうな考え方も

波は実在するものじゃなく

ただの状態だってことにしておけば

問題は無くなるじゃない

モノってものは

確かにあるように見える

(感じることができるかも)

でも それを構成している粒子が

じつは実態を持っているものじゃなくて

たんに波の集中している部分だって

ことになったとしても

確率(期待値)が

ほぼその場所に集中しているとすれば

そんなに問題はおきないのかもしれないね

たんにぼくたちの勘違い

もしくは思い込みってことに

すればいいだけなんだもの

ぼくたちがモノっていうのは

実存の存在だって

勝手に考えているだけかもしれないよ

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