散歩の途中

そして多細胞生物へ(再稿)

生物の進化(特殊化)は種族間の争いから始まっているのかもしれない。そこに自然現象による大異変があって次のステップがはじまる。今のところ人類が他の種族との争いになる雰囲気は無いけど人類の進化もやはり戦争が影響っていうのは大きいよね。その進化の途上で何らかの自然現象の大異変が起こったら…… 次のステップってなんだろう? 
散歩の途中

シアノバクテリアから真核生物へ(再稿)

種が在ることを目指す生物と個の存続を求める生物。外部環境に己を合わせて変化させようとする生物と己の都合の良いように外部環境を変えようとする生物。どちらもそれなりに環境変化に対する方法としては一長一短がある。ただ地球上でもこれまで起きた来たような想像を絶する変化を前にすればどちらもそれほどの意味は持たないのだろうね。
散歩の途中

生物(再稿)

この話は学術的考察の元に書かれたものじゃないんだと思う。だから現代の定義からすると個々の名称には違和感のあるものが多いと思うんだ。ただ現代では研究が進んで少しの差異でも個別に名前がついてしまうからややこしい。だからここでは単純に 外界に己を適応させる生物と外界を己に合わせて変革しようとする生物の差ってことにしよう。
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散歩の途中

目的論(再稿)

目的ってなんだろう。目標とか指針 行動原理。いずれにしても将来や未来にあるべき姿を仮想するってことなんじゃないのかな。では現状で描いた将来の展望が達成された時点で仮想される次の目的には現状の目的との整合性はあるのだろうか。果は因にあり因は果にあり。因・縁・果の仏教的解釈だけど、目的は果なのか因なのか どちらだろう?
散歩の途中

進化(再稿)

『セカンド』。未だに説明不足で理解できにくい『意』を大量に開放するための装置ってことだけどこれでわかれっていう方が無理。なにより『意』ってなんだ? ってことだよね。哲学の世界では類した言葉が出てくるけど使い方はバラバラ。魂とか精神とか心とか…… ある意味ある種の宗教で出てくる神の一部が切り取られたものに近いかもしれないけど。
散歩の途中

ここはどこ? わたしはだれ?

『散歩の途中』のメモ起こしをしているつもりなんだけど、順番に書いていくととてもじゃないけど他人に伝えられるのに耐えられない文章になっちゃうんだよ。だからいつもの脱線。メモに出てくる『詐欺師』ってものに触れてみよう。『詐欺』『営業』『節介』これらの違いっていうのは何だろう? 刑事と民事じゃ考え方に違いがあるみたいだけど。
散歩の途中

『意』 無秩序な観客 (再稿)

生命とはなにか? 結局のところ正解ってものにはたどり着けないのかもしれない。だからあくまで仮定もしくは妄想。物質内の存在に時間制限があるとすればそれは内部の『フォース』を0にするための時間制限。大量の『フォース』内包してしまえば放出エネルギーを増やす必要がある。その増やされたエネルギーが生命 ってことじゃないかな。
散歩の途中

宇宙(再稿)

56億7000万年。この時間には意味は無い。時間単位は人間が決めただけのもの。なにより太古の一年と現在の一年じゃ長さが違う。ビックバンから約138億年と言われている(今のところ)のも現在の時間単位でってこと。ここに出てくる数字に意味は無い。ただそこに語られる仏教に通じるような話に数字というデータを付け加えただけなのかも。
散歩の途中

『時』『色』そして『意』(再稿)

宇宙(世界)は時間と空間で出来ている。書き込みの言葉を使うと『時』と『色』で出来ているってことだけど、そこは納得できるような気がする。モノが在ると存在するということは別物。これもわかるね。観測されなければ存在自体意味を持たない。これもわかるかも。誰もいない森で倒れた木は実際に倒れたのか倒れなかったのかって話だもの。
散歩の途中

時間と空間(再稿)

世界は物と時間で構成されている。相対性理論みたいな科学的なことじゃないよ。なにかを認識するためには対象の物と時間の流れは必要ってこと。ここでは『物』のことを『色』と呼んでいるんだね。色即是空という言葉があるけど どうも『空』は因と縁があって初めて存在するみたいなんだ。だから『色』は因 『空』は果ってことなのかもしれない。
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