自問自答

先天的理性

人間と他の生物(?)とを区別するのに言語っていうものが出てくるけどそれだけだろうか? たしかに言葉というものの役割は大きいかもしれないけどもっと根源的な違いは無いのだろうか? 生物としての本能 人間としての本能 この間に違いがあるほうがわかりやすいよね。ただ この本能という言葉 現代じゃほぼ死語になっているらしいけど。
自問自答

抽象概念 Ⅳ

人類の思考方法を考えるためには他の生物(だけに限らないけど)の思考方法との違いがヒントになるのかもしれない。情報の入力 伝達については種族間で多少の差異はあるかもしれないけど理屈としてはほぼ同じように思えるんだ。だとすればその情報を記録する能力・方法の違いが人類の特殊性(?)を見つけるカギかもしれないね。
自問自答

抽象概念 Ⅲ

現存在と存在者の違いがどこにあるのか。言い換えればぼくとあなたの違いはもしくは個人と人類の違いはどこにあるのか。ハイデカーさんの言葉を借りれば『死』ってものが唯一の違いだってことになるんだ。現存在・ぼく・個人は死ねばそこで終わっちゃうじゃない。でも存在者・あなた・人類は死んでもぼくと『世界』には影響が無いんだよね。
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自問自答

抽象概念 Ⅱ

因果関係なんてものは無い。これって別に目新しい発想じゃないよね。因果関係の元ネタの仏教だって縁があってこその因果だって言っているもの。量子力学の世界=演算子もそうだよね。でも観察することによって『果』が決定するんだったら自分の観測と他人の観測の間のズレがあった場合どうなるんだろう? なにより自分と他人との差ってなに?
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抽象概念 Ⅰ

人間が『考える』ってことはどういう過程で行われるのか? その一つの考え方にヒュームさんなんかの『印象』『観念』の概念が出てくる。人間は外部からの時々刻々と変わる情報を感覚として蓄えることによって知識を増やしていき その知識(過去の)を使って新たに入ってくる情報を判断するってことなんだ。あくまでも一つの考え方だけどね。
自問自答

考える仕組み Ⅱ

感性・悟性で外部情報を収取する。それを理性が分析判断する。人間が考える仕組みっていうのはそういうことなんだとは思うよ。でも理性ってものは人間にしかないんだろうか?他の生物たちだって理性を持っていると考えたほうが(その機能は違うかもしれないけど)合理的だと思うんだ。だとしたら人間と他の生物との違いっていうのはなに?
自問自答

考える仕組み Ⅰ

『考える』ってことを考えてみよう。ぼくたちが外部の世界を知るためには外部観測器官をフル稼働して情報を手に入れる必要があるよね。その役目が感性・悟性の仕事。でもその最先端にある感性は触れることでしか情報を入力できない。そしてなおかつデジタル情報しか入手できないんだ。その半端な情報でバトンタッチされる悟性も大変だね。
自問自答

悟性・理性

人間の認識能力には限界があるっていうのは哲学・自然科学どの方面から見ても否定されないことだと思うんだ。その限界値をすこしでも広げようと学者たちは努力しているんだね。なぜ認識能力に限界があるのか? もともとの人という種の限界もあるだろうけどなにより人間が直接外部の世界とは接触できないってことが一番のネックなんだ。
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人間の限界

物理学にしても哲学にしても それこそ学問にこだわらなくてもぼくたちが興味を示すのはあくまでも『人間』基準のものなんだってことをわかっていないとおかしくなっちゃうよね。物理学の観測しかり人間の理性的判断しかり『存在』ってものを『人間』というフィルターを通してしか観測できないっていうのはどうしようもないことなんだろうな。
自問自答

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ぼくがしつこく書いている『デジタル』vs『アナログ』。やはり量子論や相対論でも問題になっているように思うんだ。因果関係っていうのはアナログ、それに対して観測ってもののデータはデジタルで出されるものなんじゃないかな。量子力学の不確定性原理もベクトル量・スカラー量もこの二つの捉え方の違いのような気がするんだけど。
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