もうすこし数学を

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数学ってことばなんじゃないかな

「数学とは『形式体系』である」

これって数学の定義らしいんだけど

カッコいいけどよく考えるとなんのことだか

さっぱりわからないんだよね。

(わからないのはぼくだけかもしれないけど)

もともと数学っていうのは独立した学問体系として

出発したんじゃなくて

実用数学(それこそ数・量・図形の計算)として

自然科学なんかに使われていたんじゃないかな。

今風にいうなら『算数』が出発点だったんだと思うよ。

このときには当然のように

多くの例を検証して考察することによって

正しさを証明するっていう

帰納法的考え方が主流だったんだろうね。

でも数なんて無限にあるじゃない

そんなのを片っ端から調べていったところで

正解か否かの証明なんてできない。

だから『算数』から『数学』に進んでいく過程で

帰納法的実証主義が否定されていったんじゃないかな。

ではどうしたらいいのか。

論理的に正しいと証明できるものごとは

『正しい』という大前提をつくる

その『正しい』ものが集まったものもまた『正しい』

そう、演繹法的考え方に

方針転換をしていったんだと思うんだ。

論理を繋いでいって物事の審議を判定する方法は

『数学的証明』って言われているように

自然科学の実験・観測の方法だけでは

証明できないものごとに理屈をつけるためには

この方法しかないのかもしれない。

確定した事象に対応する記号をつける。

その事象の状態・変化を表す数式をつける。

事象と事象を結び付ける関係を式で表す。

なんのことはない外国語の翻訳と同じことを

数学はやっているだけなのかもしれないよ。

固有名詞に関係詞

単語と文法の組み合わせ。

言語だとあいまいな部分の訳に困って

翻訳文が原文と違ってしまうこともあるけどさ

数学翻訳だとそのあいまいさも

数値化することができる。

『あいまい』を『あいまい』だけど

同じ『あいまい』として共有できる

これが数学って言語のすごいところじゃないかな。

形式体系

数学って言うのは言語のことじゃないのか? って

思っちゃうのは

数学の定義「数学とは『形式体系』である」

言い換えれば数学の基礎に形式体系があるからなんだ。

言語ってものも形式体系だと思わない?

ある対象に名前を付けて

その対象の状態・変化にも言葉をあてはめる。

もちろん微妙なニュアンスなんてものもあるけど

それも言葉を重ね和せていくことや

新しい言葉を創り出すことで

対応していこうとしていく

これってあきらかに形式体系でしょ。

もちろん数学の形式体系は

言語の形式体系より

厳密で明確なものなんだろうけど

ある事象を伝えるための

抽象思考体系のなかで

もっとも『明確な』ものだってことだけだと思うな。

量子力学を書いていくために

どうしても数学が必要になるっていうのは

どうやら量子力学の世界を語れる言葉が

日本語や英語

それ以外の言語と言われるものでは

曖昧過ぎて他人と共有するのが

きっとむずかしいからなんだ。

ことばの曖昧さ

言葉って言うのは

事象を他者と共有するために

発達してきたんだと思うよ。

情報を共有することによって

人類はこれだけ他の生物をおしのけて

この地球に君臨するようになってきたんじゃないかな。

初めに必要とされたものは固有名詞。

次に名付けられたものの構造・変化。

固有名詞を持つものどうしの関係性。

新たに見つかった事象の固有名詞や

これまでなかった構造・変化・関係性。

それらを言語化するために

次々と新たな言語や言語どうしのつなぎ合わせがおこなわれていって

複雑怪奇な言語体系が出来上がっていった

そんなところだと思うよ。

伝えるものごとが単純な時期には

対応することばも単純でよかったんだろうけど

より複雑な事柄を、より正確に伝えるためには

言語はどんどん細分化されていったに違いないんだ。

だから基礎知識の無いものには理解されない

もしくは曲解される言語が生まれちゃうのは

どうしようも無いことかもしれないね。

もうひとつ言語の伝達では

十分に正確な伝達ができない原因に

『事実』と『真実』の問題もあるんだ。

哲学の時にも書いたけど

ぼくたちが自身の外部の世界を

認識しているつもりになっているのは

肉体の備えている外部観測器官という

おそろしく脆弱な観測装置を通して。

そこから得た情報を個人の『真実』として思索し

集団思考としてその集団の『真実』として規範をつくる。

いわく『時代と地域の刷り込み』が

言語にとうぜん影響を与えるわけだよね。

そんな状況で正確なコミュニケーションなんて

できるわけがないって思わない?

そろそろ量子力学に戻っていこう

数学って確定したものしか相手にしない

それこそ『デジタル』の最右翼みたいなもんだと思っていたけど

どうやら少し違うみたい。

ここから先は独断と偏見だから

専門家の人からは馬鹿にされるだろうけど

数学って事象に対応する言語なんだと思う

だから数学は形式体系だっていうのは当然だよね。

自然科学だと実験・観測の結果によって

それまで正しいとされていたものが

簡単に否定されることがあるけど

数学にはそれがない。

純粋に論理的思考の積み重ねで

理論を進めていくんだからね。

そういった意味では他者と意思疎通をするための

アイテムとしては

いちばん正確な言語じゃないのかな。

数学音痴のぼくが数学を使わずに

数学で表されているものごとを

一般言語に翻訳しようとするなんて

無謀な挑戦としか言いようがないけど

なんとか辞書を片手に

頑張ってみようと思うんだ。

さて数学での続きならハイゼンベルグさん。

物理学での続きならシュレーディンガーさん。

どちらから行こうかな。

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