マルクス

雑学を収集しようじゃないか雑学
スポンサーリンク

哲学者か、思想家か

悩んだんだよな

マルクスさんを書くかどうかは。

まえに書いたダーウィンさんなんかは

あきらかに哲学者じゃないって

わかっていたんだけど

マルクスさんは哲学者でもあるし思想家でもあるしって

むずかしくない?

これまでにも広くの分野で活躍した

スーパーマンはいたけどさ

マルクスさん

思想と実践って言う違った意味でのマルチなんだ。

一般にはマルクスさんは哲学者扱いで

エンゲルスさんは思想家扱いになっているんだけど

社会に関与するかどうかが境目だってぼくは思っているんだ。

哲学者と思想家の違いって人によって意見は分かれるけど

社会に関与しないのが哲学者

社会に関与するのが思想家ってね。

そういう意味では

マルクスさんって思想家のような気がするんだけどな。

ぼくのイメージの中では

社会主義革命家もしくは共産主義革命家。

ぼくの時代の学生運動をしていたものの必読書

そのひとつがマルクスさんの『資本論』だったんだんだからね。

(もう一つの必読書は『毛沢東語録』だったけど)

マルクスさんが哲学者だったのか

思想家だったのかはおいておこう。

どうやらマルクスさんの思想の出発点は

ヘーゲルさんの弁証法だったみたいなんだ。

でもヘーゲルさんの観念論と眼前の社会とのギャップが

彼を『観念論』じゃだめじゃないって

思わせたってことなんだと思うよ。

そこで次に行き着いたのがフォイエルバッハさんって

ここまでは王道だよね。

フォイエルバッハさん

ちょっと前に書いたけど

観念ってのを人間を中心に考えていたんだ。

人間は個人としては有限で無力

だけど、人類としては無限で万能だよ。

神っていうものはその人類のなかの一個人である人間を

人間自らが人間の外へ置いた物に過ぎない。

そう、神とは人間なんだ。

だから、歴史ってのは概念みたいな精神的なものじゃなくて

物質的条件の総和によって決定される。

それがその中で生きている人間に思考し行動させているんだ。

これがフォイエルバッハさんの考え方なんだけど

マルクスさん、この類としての『人間』ってのは

歴史をつくってきた『労働する人間』のこと

だから人間ってのは労働という経済活動をもとに

人類として歴史を歩んでいるんだとした。

そんな感じで、経済と哲学を

ミックスさせていったんだろうね。

階級闘争

社会ってのはどうやって発展していくのか?

それはその社会のもつ物質的条件や

生産力に応じて引き起こされる。

その生産力によって経済が決まっちゃう。

それが社会にとって最も重要な社会的関係。

でも、生産力がなにかの要因で発展しちゃうと

従来の経済に基づいたシステムとの間に

矛盾が生じてくる。

その矛盾の力によって経済システムは

変わらざるを得なくなっちゃうんだ。

これが人類の歴史を動かしていく

階級闘争ってもんなんだよ

っていうのがマルクスさんの主張。

このあたりが前面に出ているから

マルクスさんって経済学の人?

それとも革命家?

って思われているんじゃないかな。

じつはぼくもマルクスさんは

政治・経済学者だって思ってたんだ。

でも実際のところ

はじまりはヘーゲルさんだったみたい。

ヘーゲルさんの観念論と弁証法を研究していくうちに

『観念』ってのはどうなんだろう?

なんか空想遊びしているだけで

じっさいには何の役にも立たないじゃないか。

ってところに行き着いたのは

しかたがないかな。

でもそれを考えていくと

哲学じたいが無意味に思えてくるのかもしれない。

哲学ってのを人の考えの根幹に置くことによって

そこから枝葉のように科学が発展していくと考えれば・・・

空想遊びもけっして無駄じゃないように

思えるんだけどね。

唯物史観

もうしわけない。

どうもマルクスさんや

次に出てくる

ニーチェさんなんかの思想を

今書いている哲学分類に

入れることになかなか

素直になれないんだよね。

哲学史の流れの中では

必要かもしれないんだけど

ぼくの求めているものじゃないってことかもしれない。

もっともぼくの求めているものが

哲学か? って聞かれると

すなおに「はい」とは言いにくいけど。

だからマルクスさん、ニーチェさんは

かるく流してしまうことにしてしまおう。

マルクスさんの唯物史観

簡単にいえば

人間ってのは集団生活をおくる生き物なんだってことだね。

狩猟生活でその日その日を送っていた時代から

封建制度・資本主義と移っては来たけど

けっきょく経済(生産力といってもいいかもしれない)が

その時の組織関係を決めてしまうんだよ

ってこと。

生産力ってのはどんどん上がっていく。

そうなればその時代の組織も当然変わる。

そうやって人間てのは進歩してきたんだ

ってのがあらましじゃないかな。

歴史はじつは経済が決めている

だから資本主義もそろそろ限界をむかえているよ、ってね。

単純化しすぎたけど

マルクスさんの主張は

そんなところだと思う。

もう一つ『資本論』に出てくる資本主義の行き詰まりの原因に

『余剰価値』の行き先がある。

マルクスさん、物の価値ってのは

人の労働に対する価値だってことにした。

本来なら経済ってのは同等の価値のもの

言い換えれば同等の労働どうしの

等価交換でしかない。

それがいつしか貨幣を媒介にした取引と

商品をひとの労働の成果と見ずにたんに物として捉えることによって

いつのまにかひとの労働価値以上の流通が

おこなわれるようになっている。

そしてその余剰の価値が

労働者に還元されていない。

この唯物史観と余剰価値の行き着くところは

資本主義の終焉そして資本主義に変わる

つぎの組織関係の台頭が待っている。

新しく生まれてくる組織関係それが『社会主義』なんだ。

と、いうことらしい。

う~ん。

まとめ過ぎてマルクス主義の人たちから

怒られそうだね。

タイトルとURLをコピーしました