コペンハーゲン解釈だけがすべてか? Ⅱ

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確率過程量子化

意志による解釈とか

パイロット解釈なんて書いてみたけど

まだいくつか説が残っているから

続きを書いてみよう

古典力学からのアプローチも

あるんだ

確率過程量子化って

日本語では訳されているけど

どちらかと言えば

ランダムウォークの

量子力学への応用ってことだね

ランダムウォークっていうのは

次に現れる位置が確率的

無作為に決定される運動のことを

そう呼ぶんだけど

(日本語だと酔歩とか乱歩と言われているね)

もともと運動量が決まっていて

進行方向がバラバラなものを

表すためにつくられた概念ってこと

粒子の位置が

確率によってしか

表すことができないっていうのは

量子力学だけの

専売特許じゃないんだ

古典力学のなかにも

粒子の運動が

不規則に起きるっていうことが

見つけられていたってことだね

もともとは 経済学や統計学の分野で

使われていたらしいけど

物理学でも有名なところでは

ブラウン運動があげられる

ブラウン運動っていうのは液体や気体中に浮遊する

粒子が不規則に運動する現象のことだけど

『なぜ?』が解明されていなかったんだ

その理由について

アインシュタインさんが

発表した論文から

分子や原子の存在の研究が

進んだっていうのは有名だよね

ブラウン運動に限らず

ランダムウォークは

統計として表せられた

実験結果から

全体像を表すんだけど

その統計数値を

波動関数に合わせることにすれば

量子がへんてこな重ね合わせ状態に

あるんじゃなくても

粒子として確立されているってことになる

粒子は観測されようがされなかろうが

必ず空間の一点にあって

波動関数っていうものは

粒子の運動経路を

確率的に表しているだけのものだという説だね

量子力学の量子の波動性ってものは

数限りない粒子の挙動を

平均化した

ある意味錯覚みたいなもんだ

ってことらしい

もっとも ランダムウォークで示されるのは

観測後の粒子の状態からの

運動指針で

波動関数が示すのは

観測前の粒子の状態ってことで

すこし意味合いは違うような

気もするけど

波動関数から導かれる

量子力学は

物理学(モノの本質を探る)としては

研究するに値するとは思うけど

実用に落とし込むのには

どうやらランダムウォーク考えかたのほうが

使いやすいみたいなんだ

じっさいこの考え方で

実用化されているものが

(量子コンピューターもそうじゃないかな)

あるってことだね

なんといってもぼくたちの

硬い頭でもこの考え方は

馴染みがありそうだもの

客観的収縮理論

2020年にノーベル賞を受賞した

ペンローズさんの

ペンローズ解釈なんかも

この客観的収縮理論のひとつだと思うけど

基本コペンハーゲン解釈からの

発展形みたいなんだ

コペンハーゲン解釈では

量子はボヤ~っとした

雲や霧みたいないろいろな状態の

重ね合わせだけど

人が観測した瞬間に

ある一点に粒子として

観測されるってことに

なっているよね

この『観測』ってものが

どういうものなのか?

人が観測するとは

その人の持つ意志が

関与するのか?

猫が知ることは

観測することに入らないのか?

なんて問題が

議論されちゃったわけだ

この客観的収縮理論は

いやいや『観測行為』は

関係ないんだ

波動関数の収縮は

観測とは無関係に起きるんだよって

ことを主張しているみたい

その収縮がランダムにおきるのか

なにか他からの関与で起きるのかは

主張が分かれているけど

『観測』という

人間の意志から量子力学を

切り離すには

うってつけの解釈かもしれないんだ

収縮が量子の世界で

ランダムに行われているとする

自発的収縮理論だったり

前出したペンローズさんの

重力によって

重ね合わせ状態が

収縮するとする

ペンローズ解釈なんかが

あるけど

人間の意志の関与のない

自然現象の収縮ってことだから

可能性として

実験で検証できるようになるかもしれないという

夢がある解釈かもしれないね

コペンハーゲン解釈の問題点

物理学っていうのは

実験・観測の結果

出て来た事象の

最適な解釈を

導き出す学問のような気がするんだ

研究の結果

幾つもの仮説を立てて

その中から生き延びていく仮説を

見つけ出すっていうのかな

ある意味 試行錯誤の

学問って言えるかもしれない

量子力学でわかっていることは

幾つかあるわけだ

(実験・観測によって出て来た事象だね。

ただ この場合の観測っていうのが

問題なんだけど)

粒子の

(量子のことをひとまず粒子としておこう)

位置や運動量を示す確率は

波動関数によって示される値と

一致する

粒子は観測をすると

一点に実在として見つけることができる

ただし 一点で観測された粒子の位置や運動量を

古典力学による『因果関係』で考察すると

粒子としての存在は

観測される以前に2つ以上の状態が

重ねあわされていたってことにしなければ

つじつまが合わない

ってことがわかっちゃった

この 古典物理学で考えると

『矛盾』としか言えない状況を

なんとか説明しようとして

解釈問題ていうものが

出てきているみたいなんだ

ひとつの問題として

モノを

とことん細分化していった先にあるのは

モノ(粒子)なのか

それ以外の

人間には認識できないなにか違うものなのか

もうひとつは

人間が観測すれば

モノをとことん細分化したものは

モノ(粒子)と観測できるんだけど

量子を粒子だとして

ぼくたちの知っている力学に

(古典力学)

当てはめると矛盾がおきちゃうのは

なぜか?

これらの疑問をどう解釈するかで

多くの説が出ちゃったってことだね

大きく分けると

ふたつの派に分かれるみたい

ひとつはモノの最小単位は

モノじゃなくて

『なにか』だって説

最小単位は

モノ(粒子)だけど

その動きを説明するべき古典力学に

未だ見つけられていない

ファクター『X』が

あるっていう説

最近だと初めの

最小単位は『なにか』だっていう説が

優勢みたい

その筆頭である解釈

『コペンハーゲン解釈』が

主流だもんね

でも それって

苦労して築きあげて来た物理学の根底が

覆っちゃうかもしれないんだ

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