一般相対性理論

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迷ってはいたんだよ

さてどうしよう。

この特殊相対性理論が一段落ついたらば

量子力学の『不確定性原理』に

戻るつもりだったんだけどな。

はなしが逆かもしれない。

不確定性原理に行くために

特殊相対性理論を書いていたはずなんだ。

でもね、少しかじっただけなんだけど

相対理論っておもしろいんだよね。

考えかたとしては

じつにシンプル。

さすがにアインシュタインさんが

幾何学で宇宙について

説明しようとしたって言われるのも

納得できるような

イメージ展開がなされていて

数学ド素人のぼくでも

ある程度まではついて行けるようになっているんだ。

ただ、学問として探求したいとか

本質の部分を正確に知りたいってことになると

そうもいかない。

でもぼくが知りたいのは

表面上の感覚だけ。

だから特殊相対性理論の続きで

一般相対性理論まで書いちゃえって

思っているんだけど

勉強のためとか

深堀がしたいって人は

自分で勉強することを進めるよ。

量子力学の不確定性原理をわかるために

相対論(とくに特殊相対性理論)を

調べようとしていたわけだけど

ぼくにとって量子力学が

最終目標ってわけでもないってことは

何度も言っているよね。

ぼくの目的は色(空)・時・意ってものを

知りたいだけなんだから。

その中の色(物とか存在とか宇宙とかかな)を

考えていくと小のほうは『量子力学』

大のほうは『相対論』に行っちゃうんだから

これは仕方がない。

量子力学にこだわる必要も

無いってことで

ついでに(?)一般相対性理論まで

いってみようじゃないの。

(ってすこし言い訳かもしれないけど)

だからそのあたりの正確な学問知識は

掘り下げていく必要は無いんだ。

なんといっても物理学

あくまでも「今のところは正しい」でしか

ないんだからさ。

細かいことは大体でいいんだ。

なんとなくイメージがつかめればね。

特殊相対性理論

一般相対性理論を書いてみようと思ったんだけど

ここで問題。

特殊相対性理論と一般相対性理論って

何がどう違うんだろう。

『一般』と『特殊』って考えると

『一般』のほうが普通の状態で

『特殊』っていうのはそのなかの

それこそ特殊な状態だって思えるよね。

ではぼくたちがいるこの地球上ってものは

特殊なのか一般なのかどっちだろう。

これって古典物理学と

量子論以降の物理学との対比にも似ているかもしれない。

一般に古典物理学の範疇に入っているのは

ニュートンさんの力学

マクスウェルさんの電磁気学ってことになっている。

(アインシュタインさんの相対論も現在では古典力学の

発展形ってことで定義されているみたいだけど)

古典力学っていうのが

量子力学や相対論の特殊なシチュエーション

ようは地上のぼくたちに関わりのある

物理現象の近似値だってことなんだそうだ。

だからこの地球上でのぼくたちの捉え方としては

相対論は『特殊相対性理論』ってことで

いいんじゃないのかな。

もっとも地球だって

宇宙の中を動き回っているし

引力だってあるんだから

精密に言えば『一般相対性理論』の

範疇にあるんだろうけどさ。

今まで書いてきた相対論は

慣性系どうしのはなし。

言ってみれば等速運動をしているものの間でのみ

はじめて通用する

それこそ『特殊』なシチュエーション限定ってことなんだ。

でも運動って等速直線運動だけじゃないよね。

ぼくたちの周りでも

ずっと同じ速度で動いているものって

あまり思いつかないじゃない。

物理学者たちは貪欲な種族。

一つの結論が出ても完全には信じない。

そして『特殊』条件だけに成り立つ理論には

不満が溜まって行っちゃうんだ。

アインシュタインさんも

当然そうだったみたいだね。

一般相対性理論

物理学者は貪欲な種族って書いたけど

人間ってものが貪欲な種族ってことかもしれない。

「明日を知ることは死を知ることだ」ってわかっているのに

明日を知りたがるんだからね。

その中のより貪欲な人種が

研究者になるのは必然なのかもしれないよ。

物理学者はなにものも信じない。

もし信じるものがあるとするならば

この宇宙には物理法則ってものがあって

それはいかなる状態(時間・空間に関わらず)

でも通用するっていうことだけだろうね。

もっとも彼らに言わせれば

この主張もあくまでも仮定であって

否定されるまでは正しいと見なそうってところみたいだけど。

特殊相対性理論ってのは

ふたつの仮定から出発して

考えだされた理論。

そのもっと前の出発点は

光が波だったら

宇宙(真空中)をどうやって

伝わるんだろう? っていう

単純な疑問からはじまっていた

エーテル論からきているのかも

しれないけどさ。

そのことに対する

数多くの実験・研究の集大成として

光の速さはどんな状態で観測しても

同じ速さなんだって仮定がひとつ。

もう一つがどんな慣性系でも

物理現象は同じだよという仮定がもうひとつ。

『光速度不変の原理』と

『特殊相対性原理』のふたつが

柱だったわけだ。

ここで問題がおきる。

もともとは特殊相対性理論の説明に

「いかなる慣性系においても」って言葉は

入っていないんだよね。

慣性系っていうのは前に書いたけど

外部から力が働かない系

要するに等速運動をする系ってことなんだけど

ぼくたちが普通に物事を考えるときに

じぶんが静止していて

周りが動いているって感じちゃうじゃない。

だから特殊相対性理論は

ぼくたちが身近に感じられる

相対論ってことになるんだよね。

それでもそこから質量はエネルギーだなんて

とんでもないものが出てきちゃったんだけどね。

でも何度も書くけど物理学者っていうのは貪欲。

慣性系(等速運動みたいなものかな)だけでしか

通用しない条件付き理論は

納得できないんだ。

だからどのような運動をしている物体にとっても

光速度は一定だし

物理現象は同じだってことを

理論として手に入れたくなっちゃったんだよね。

でも、「どのような運動」って

どんな運動があるんだろう?

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